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外国に住むこと、ご飯を食べること

フランスに住んでいる。つまりフランスの食材を食べて暮らしている。
食べることは、外国に行くときの醍醐味の一つであり、トラブルの種だったりもする。
わたし自身、好き嫌いもアレルギーもほとんどないが、大変な目に遭ったことがある。


モロッコに行った時のことだった。モロッコはフランスからだと飛行機で1万円くらいで行けるし物価も安いため、学生の貧乏旅行にもぴったりだ。モロッコ滞在中は安全のことも考えて少し良いレストランに行くようにしていた。
屋上のテラスで食事ができるレストランに、ラクダ肉のハンバーガーなるものがあった。「これ食べてみる」という私にコロンビア人のマリアちゃんは「あんたラクダ肉食べたことあるの?平気?」と聞いてくれたが、無知で好奇心でいっぱいの私は「うん、これ食べてみる!マリアにも一口あげるよ」とか言って、ラクダのハンバーガーを食べた。食べてみたら牛肉とあんまり変わらない感じで「なーんだ、こんな感じか〜」と平らげた。

大変だったのは次の日。その日はツアーで、10人くらいで車で砂漠を行き、ラクダに乗りにいく予定だった。私たち一行が乗り込み、イタリア人のイケイケ4人グループを拾って、舗装されていない道をがたがたがた。
いつもはあまり乗り物酔いなんてしないのに、気持ち悪くてたまらない。「まこ、大丈夫?」「気持ち悪い…あ、もう無理!すいませーん!車停めてくださ…」
あとはもう書きたくもない。この日は一日中トイレを探しては駆け込む日だった。ラクダを食べた次の日にラクダに乗ろうとしたから、バチが当たったのかも知れない。

その後「ラクダ食べたからお腹壊したんでしょ!」と言い張るマリアに対し「いいや!口に入れた時あんなに美味しかったもん!ただ疲れてて乗り物酔いしてただけ!」と言い張ったのだが、

あとで、日本人がラクダを食べると美味しい、と感じるのだがそのあとお腹を壊す、という体験談を読みマリアが正しかったのだなと悟った。

何を学んだかというと、慣れない文化圏の食べ物を食べることは時にリスクを伴うということ。
現地の食べ物を食べることは現地の文化を受け入れ、受け入れてもらうための大事なステップだが、無理は禁物。



ところで、フランスで現地の料理を食べると、量が多くてクリームやバターもたっぷり。美味しい〜と食べている間に胃がやられる日本人は多い。

私も、外食する時は、気をつけないと胃をよく壊す。

フランスに来てすぐのとき、友達に「夜ご飯にチーズ食べにいくんだけどまこも来る?」と言われた時。
夜ご飯にチーズ?おつまみみたいな?などと思って「行く行く〜」とついていったのだが、
出てきたのは一人丸々一つずつ(一切れ、じゃない。切る前のやつ)カマンベールを溶かしたものと、山盛りの生ハムとバゲット。生ハムをチーズにくぐらせて食べる。
え、これが夜ご飯なの?とぎょっとしながら一口食べる。とっても美味しい!
のだが。生ハムもチーズも塩味は強い。美味しいのは確かなのだが、半分も食べてないあたりで、もう舌も胃も一切のチーズを受け付けなくなった。胃が「もう無理」とでも言いたげに、キュっと縮んでいる感じがするのだ。
私が、冷えて固まっていくチーズの前で固まっていたら、「あら、まこ、もう食べないの?私食べるね〜」と友達がぺろっと食べてくれた。
私が半分足らずでギブアップしたチーズを1個半食べられるフランス人女性にたまげた。内臓の作りが違うんだなー、と。



また、胃じゃなくて体が食べ物を受け付けないタイミングもあるよね。私も1年に2、3回くらい、フランスらしい食べ物がなんとなく喉を通らなくなるタイミングがある。
主に日本帰国を目前にしたタイミングと、日本からフランスに帰ってきてすぐのタイミング。

自分の中ではこれをヨモツヘグイ期、と呼んでいる。ヨモツヘグイとは、日本神話の中で、黄泉の国で料理された食事を食べること。漢字では、「黄泉竈食ひ」とか「黄泉戸喫」とか書く。人が亡くなって黄泉の国に行くと、その国で食事をとったタイミングでその人は黄泉の国の人間となり、この世には帰ってこられなくなるのだそうだ。

「千と千尋の神隠し」の冒頭、千尋のお父さんお母さんが食事をとって豚になるシーンも、黄泉戸喫がテーマではないか?と言われていたりする。千尋だけが食事をとるのを拒否する。のちに千尋がハクに促されておにぎりを食べるシーンも有名だ。
「千と千尋の神隠し」では千尋も両親もこちらの世界に戻ってくるが、
やっぱり「その世界のものを食べる」ことはその世界に入っていくときに鍵になる儀式なのだろう。

この黄泉戸喫、もうこちらの世界に戻ってこられなくなるなんて不気味な感じがしてしまうが、逆に言えば、そこで食事をとることで、新しい世界でその人間の存在が安定するらしい。

外国と黄泉を同じ扱いするのはモラル的に間違っている感じがするが、
この「異文化の中で食べ物を摂取すること」というコンセプトが似ているよなあと思うのだ。

新しい世界にやってくる、なんとなく食べ物が喉を通らない。
少しずつ、体を文化に慣らしながら食べ物が喉を通るようになり、
食べ物を喉に通すことで新しい文化に慣れていく。
食べたくなかったら、無理して食べようとしなくていい(栄養は摂ろう)。まだその時期ではないだけだ。


思いがけないところに着地をしながら、今回の文章は締めることにする。

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