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猫を棄てる_村上春樹

自己満感想文

防風林

絵があるし字がでかい。絵本チックで読みやすくて助かる。縁側で猫と本に囲まれて寝てる挿絵、天国過ぎるな。

記憶が孤立している。

「たぶん僕のような職業の人間にとって、人の頭が良いか悪いかというのはさして大事な問題ではないからだろう。そこでは頭の良さよりはむしろ、心の自由な動き、勘の鋭さのようなものの方が重視される。だから頭の良し悪しといった価値基準の軸で人を測ることはーー少なくとも僕の場合はほとんどない。そういうところはアカデミックな世界とはかなり違って…」
←頭の良し悪しという基準で人を測ることの軽薄さを改めて感じた。心の自由な働き、勘の鋭さは小説家や思想家(?)にとってかなり重要なの分かる。自分も何かに対しての許容範囲が広かったりそこに軸がある人間の要素のが大事。

残滓(ざんし)…残りかす。

村上春樹の学生時代の勤勉と言い難い態度により父親が慢性的な不満を抱いていた事について、本人にとっても当時、居心地の良い環境では無かったことについて。
→自分の幼少期や学生時代の辛さが近視的であり、他人の幼少期学生時代の辛さに対して跳ね除けるような態度を働きがちだったが、それは勿体無いと思った。なぜなら(丁度電車来て書きそびれた。恐らく村上春樹の子供時代の話に価値を感じたことで、多くの人間の子供の頃の話を吸収し、自分の子供の頃の記憶を均したいと感じた。)


国の秋

シンプルに、父親が死ぬ運命を奇跡に回避してるから、父親が生きてて村上春樹生まれて良かった〜という感情がデカい。

心の中で沈殿し、おさまりを見せる。

「こうして記憶を辿り、過去を眺望し、それを目に見える言葉に、声に出して読める文章に置き換えていく必要がある。〜書くほど、読み返すほど自分自身が透明になっていくような、不思議な感覚に襲われる事がある。」
←文章に自我が移動していく感覚か?クソ分かる

教訓を残してくれた。「降りることは、上がることよりずっとむずかしい」ということだ。より一般化するなら、結果は起因をあっさりと呑み込み、無力感していく。←わかるゥー!!普遍的な事この上ないな。

この木から降りられなくなっま白い小さい猫の話の下り、子供特有でめっちゃ好きだな。自分も小学生の頃、通学路で防犯ブザーがどこかで鳴って「ちょっと行ってくる!」と友人に荷物を預け、走り出して行った中学生が今でも走り続けてるんじゃないかとか思うもんな。こういう記憶の中での時間の停止って大人になるとない。

p97、締め方うますぎやろ。雨粒の話から猫の垂直に降りる難しさに繋げるの流石。

歴史は過去のものではない。それは意識の内側で、あるいはまた無意識の内側で、温もりを持つ生きた血となって流れ、次の世代へと否応なく持ち運ばれていくものなのだ。←言語化えぐい。抽象的な事をここまで端的に分かりやすく喩えられるのはすごい。

「メッセージとして書きたくはなかった。」←村上春樹の本って一つの決まったメッセージ性は無いように感じる。なので、出来るだけ自然な形でかつ普遍的な話として入ってきやすいな。

戦争の話が多く、そこで感じることは何もかも現代とは違うのが新鮮で惹かれた。

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