見出し画像

太陽は嗤う

  夏の眼球を舐めたくなって生唾を飲んだ。黒水晶のように煌めく瞳、白磁のような白目。そこに走る毛細血管から赤い金魚の尾鰭が優雅に靡く様を空想した。だから、寝不足の夏に目薬を差すはずの私は心ここに在らずで、夏の呼びかけで我に返った次第だった。
「雪子、何ぼーっとしてんのよ。目薬まだ〜?」
夏が無邪気に私の腕を握る。夏の手は私が蝋人形なら溶け出すほどに熱っぽかった。大学食堂のクーラーは効いておらず、七月の暑さが容赦なく私たちの体温を上げる。
「ごめんごめん、今差すから」
合図して目薬の容器を押す。押し出された薬液は夏の眼球に速やかに広がる。
「ありがとう。目がシパシパしちゃって。私自分で目薬差すの下手くそでさー」
潤んだ瞳で私にお礼を言う夏は、目尻から頬に流れる目薬をティッシュで拭った。
「寝不足って…もしかしてアイツとセックス?」
私は図らずも語気が強くなる。
「ちょっと、そんなにストレートに言わなくても」
夏はそれだけ言うと何も否定することなく、満更でもなさそうに口元を緩めた。夏の幸せそうな笑みを見て私の気持ちは複雑さを増した。でもここは親友として彼女の恋愛を応援するべきだった。
「やだなぁ、からかっただけなのに。夏ってめちゃくちゃわかりやすい」
私は茶目っ気を装い夏をイジる。夏の笑い声。たわいもない談笑。ふと思う。夏の心の目に私は映っているのだろうか。

  夏の眼球を口に含む。夏の視線の先を気にしなくてもいいように、そしてあの男が夏の視界に入らないように、私は夏の眼球を優しく抉り出して口に含む。夏の眼球はナタデココみたいなトロピカルな味で癖になる。なのに、舌で転がすうちに夏の味と共にあの男の味も滲み出してくる気がしてペッと地面に吐き出してしまった。 吐き出された夏の眼球は死んだ魚の目みたいに空虚を見据えている。ねえ、私は夏の中に居る?質問をすると夏の眼球はぴくりと動く。その瞳を覗くと私の顔が映る。愛おしい。私は微かに汚れたその眼球を地面から拾い上げ、再び口に含み舐め始める。きっと夏が死ぬまで。私だけが映った夏の眼球は口の中で少しずつ溶けて、私の一部になる。

「雪子、ねえ今日本当にどうしたの?具合でも悪いの?」
夏の熱っぽい手が私の額に充てられ、空想から引き戻された。
「ごめん、大丈夫。平気」
今度は額が溶けてしまった気がして私は思わず触って確認した。でもあいにく私は蝋ではできていない。
「ならいいけど……。あ、もうすぐ1時なるよー」
「私次の授業に急がなきゃ。夏、一緒にランチしてくれてありがとう。また連絡するね」
「オーケー。私もバイト急がなきゃ、またね」
夏は別れ際絶対に振り返らない。それを知っているから、私は安心して夏を見送ることが出来た。姿が見えなくなるまで見守ると口の中に本当に夏の眼球が無いことを寂しく思った。
  夏に恋愛感情は無い。ただ、夏を私のものにしたいし、私も夏のものになりたいと願う。自分の中にある、友情をとっくに超えているだろう、心を蝕むような激情について自分でもうまく説明出来ないのだが、それが歪であることは自覚していた。言い表せないこの感情は、静かに、でも確実に、私の中で成長をしている。それはいつか化け物になるんじゃないか。肥大する未知の欲望の捌け口なのか、最近激しくなってきた空想癖は生活に支障をきたしてくる気がしている。私は底知れぬ不安を振り払うように、次の教室までの道を早足で急いだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?