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1円のお父さん

1円のお父さんは5円、5円のお父さんは10円、10円の…と続いて最後1万円になり、1万円が集まって大金に…たぶん斎藤一人先生のお言葉だったかと思います。
当たり前だけど改めて深く納得できる有難い教え、なるほど確かに、そして如何にわたしがお金に対しての認識を誤っていたか、顧みました。
お金に関して人生勉強で鍛えられたはずなのに、大切にする・仲良くなる… そういうこと出来ているつもりで、実は肝心の基本がなってなかったことに気づきました。


去年、お金に関する魔法が上手く成就しかけたところで頓挫し、大いに落胆もしたけどそれ以上になぜか有難みを感じて、本当の成長のため神妙に足元を見直すことにしました。
その反省期間に入ってからなぜか意表をつく場面で "1円玉" を度々目にしました。
忙しい駅の階段、賑わうスーパー店内 etc...
そこでは拾うことも出来ず、行き過ぎても何故か強く印象に残っていて、しばらく気になって拾えば良かったのかなとその度に後悔しました。


次に駐車場で見つけたとき拾い上げて手に取ってみるとなんだかあたたかい、思い切って出来た達成感満足感の勲章と記念に車のドアポケットにお守りとしてとってあります。
ほんの些細な事なのに結構心の動きが大きく、なぜか抵抗感大きかった分だけ逆に幸福感が大きかったみたいです。
それはどうしてか?? 掘り下げてみると、少額のお金に対して「これくらい」という見下した気持ちがあったようです。
私の中で勝手にレベル作って、いくらまでは…みたいなものがありました。
本当は1円が集まって10円、・・・なのに!
お金で苦労した割に執着が薄いのは良いところかも知れないけど、だからぞんざいに扱っても良いというわけじゃない、そういう教えなのかなと思いました。


息子へのお小遣いもやっぱり「これくらい」が重なって節度なくなってたところもあります、金額ではなく有難みの問題ですね。
他人様には尚更「これくらい」は言い出しにくい⤵となっていました。
それって結局 "わたし" が気になってるなら言ってあげるべき聞いてあげるべきだったのに、変な見栄なのか何なのか…。
お金に対する変な my概念 のせいで自分を我慢させちゃってる悪い行いでした。
その証拠に、いつの話ってくらい遥か昔のそういうシチュエーションに、あの時の500円…、とモヤモヤをリフレインする時が何度もあった心当たりが沢山。
我慢させてスルー出来たつもりでも、本心は全然納得してないってことに、と気づけました。


「これくらい」のような my概念 、当然誰にでも当てはまる訳じゃないから臆せず "わたし"  優先でスッキリさせてあげることに決めました。
そのための行動をしたらそれで完了&達成とします。
そのあと結果がどうなるかは相手次第で相手の領域、もう私には関りない領域ですから。
そう気づくと自然に my概念 は消えてまたひとつ気楽になれました。
そしていつものように不思議と解消された分野での Lucky が舞い込んできて、念願だった「LUNCH焼肉」や「上質ひとり時間」 etc...が意外なルートから present されました。


心が軽やかになれるのが面白くて実験自体がご褒美ですが、それにプラスでちゃんとサプライズLuckyも届くことに幸せを感じています。
ちなみに初挑戦でお金還してと言った件、意外とすんなり解決したので余計心爽やかです。


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