「ああ、良い人生だったな」と思いながら死にたい
こんにちは、面白い団地に移住してときどきまちづくりに関わっているまちだです。
私がいま住んでいる『ホシノマチ団地』に住み始めたのは2021年の6月。
長野県佐久市に移住してもう半年ちょっとが過ぎた。
...いや
「まだ半年ちょっとしか経っていない」の方が感覚的には正しい表現だ。
本当にあっという間で、もう2, 3年はここで過ごしているような
そう思えるほどに内容の濃い半年間だった。
というのも、この半年間で色々な変化があった。
移住したことによる生活環境の変化だけでなく、心の変化もだ。
そうした変化の中で実行してきたこともたくさんあった。
でも、やりたいと思ってはいたけれど、結局未だに実現できていない事も星の数ほどある。
今回のテーマでは『そもそも私はなぜ移住したのか』を、私の心情を織り交ぜながら綴りたいと思う。
今回はそんな内容のブログを書いていきたいと思います。
ホシノマチ団地全体の話しというよりは自分語りです。
一人称視点です。
皆さんがこの記事を読んでも、得られる教訓とか学びとかはあまりないかもしれません。
でも、『移住とは何だ!?』を考える1つのきっかけになれたら嬉しいです。
『移住』って良く使ってしまう便利な言葉だけれど、思っている以上にあいまいな言葉ですからね。
ではでは、本編スタートです!
なぜ私は移住したのか?
いきなり本題ですが、そもそも私はなぜ移住をしようと思ったのでしょうか。
これ、地方移住したら移住先で必ず聞かれます。
「どうして移住しようと思ったの?」と色んな人に聞かれます。
もしこの世に『移住』という科目が学校の授業にあったとするならば、教科書には赤線が引かれ、移住の担当教師は「ここ良くテストに出るから、覚えておくんだぞ〜」と間違いなく生徒に伝えるでしょう。
「どうして移住しようと思ったの?」という質問はそのぐらい重要でよく聞かれる質問なのです。
私だけでなく、他の移住者さんも漏れなく、この質問に出会う機会が多いと思います。
そして、移住者の皆さんはこの難問に上手く答えられているでしょうか?
自分の中での100点の回答を出せているでしょうか?
実は、私は未だに上手く答えられません。
「どうして移住しようと思ったの?」なんてかれこれ100億回以上は聞かれているはずなのに...。
あなたは自分の答えに100%納得できていますか?
もちろん、聞かれたその場でなんとなく説明することはできます。
答え方も『ショートバージョン』と『ロングバージョン』2つ持っていますしね。
ご近所さんとの立ち話しで聞かれた時は『ショートバージョン』を使い、移住検討者向けに じっくり話す時は『ロングバージョン』を使い、といった形で使い分けている程です。
ちなみに『私が移住したきっかけショートVer.』は
「私は元々田舎育ちで、自然が好きで、たまたまホシノマチ団地という移住者向けの団地を見つけたのがきっかけです」です。
ロングバージョンの方は...長いので割愛しますね。
「え?ちゃんと質問に答えられているじゃないか嘘つき!」と思いましたか?
そうですね嘘つきですね。
"上手く答えられない"というのは誤解を生む表現だったかもしれません。
「どうして移住しようと思ったの?」という質問に対する自分の答えに未だに納得できていないという表現の方が正しかったかもしれません。
そう、私は自分の出した移住したきっかけの答えに、全く納得できていなかったのです。
移住した理由は本当にそれか?
だから移住した理由を答えた後に、私はいつもこう思うんです。
「本当にそうか?」と。
「本当にそうなのか?」と。
「私は本当にその理由、そのきっかけで移住を決断したのか?」と。
「じゃあ、ホシノマチ団地が無かったら移住していなかったのか?田舎育ちではなく都会育ちだったら移住していなかったのか?」と。
いつも自問自答してしまうのです。
なぜそう思ってしまうのか?
その答えが、ある心理学者のおかげで見つかりました。
目的論と原因論
ある時、有名な心理学者がこう言いました。
人は過去の原因に突き動かされる存在ではなく、何かしらの目的を達成するために動いているのだ。
アルフレッド・アドラー|嫌われる勇気
あまりにも有名ですが『原因論と目的論』というやつですね。
アドラーは「人は原因論ではなく、目的論で行動している」と言っています。
例えば...
「私が移住を決断したのは、元々田舎育ちで、自然が好きで、たまたまホシノマチ団地という移住者向けの団地を見つけたからだ」
これは、過去の田舎育ちという生い立ちや、自然が好きという経験に基づいて、移住という行動をしたという文なので原因論に近い考え方です。
このように、過去の出来事があったからいまの状況があるという考え方が原因論です。
対して、目的論的な考え方で答えるならば
「私が移住を決断したのはこれからの人生をもっと豊かにしたいと思ったからだ。」です。
こちらは、人生を豊かにしたいという目的達成のために移住という行動をしたという文なので目的論に近い考え方になります。
少しづつ見えてきた移住決断の理由
事実、私が移住を決断したきっかけはそこでした。
大変申し訳ないですが、長野県が好きだから、佐久市に魅力を感じたから移住した訳ではありません。
ホシノマチ団地があったから移住した訳でもありません。
いや、長野県も佐久市もホシノマチ団地もほんっとうに好きですけど、どちらも移住した一番の理由ではありません。
人生をもっと豊かにしたい。
その手段が移住だった。
ただそれだけです。
私は「ああ、良い人生だったな」と思いながら死にたいのです。
病院のベッドの上で「あの時なんであれをやらなかったんだろう。」なんて後悔しながら死にたくないのです。
私がいま生きている理由は、良い形で死ぬためなのです。
私が移住したのは単に「人生をもっと豊かにしたい!楽しくしたい!」ただそれだけの理由です。
その楽しくなる要素がなんとなく詰まってそうだから日本を選び、長野県を選び、佐久市を選び、ホシノマチ団地を選んだ。ただそれだけです。
人が行動するきっかけは原因論ではなく目的論らしいです。
これを聞いてどこかもやもやしていた気持ちがなんだか少しすっきりした気分になりました。
100%納得のいく答え
でも「どうして移住しようと思ったのですか?」って聞かれた時に
「ああ、良い人生だったな」と思いながら死ねそうだからです。
なんて答えたらみんなに引かれちゃいますかね。
でもそれが私の出した私の答えです。
もう嘘は付きません
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