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僕は極悪人。だから天国には行けない。

この記事は、猟師を目指す僕が"答えの無い問い"に葛藤する記録である。



僕は、死後の世界があるとは思わない。僕はね。
この考えを誰かに押し付けたりはしない。なぜなら思想は自由だから。

でももし『天国』や『地獄』が死後の世界に存在しているのであれば、僕が行く先はきっと地獄だ。
なぜなら僕は、命を奪う極悪人にこれからなろうとしているのだから。

天国や地獄に行く条件

恐らく、多くの日本人はこう教育を受けてきたはずだ。



生前、良い行いをした人は『天国(極楽浄土)』に
生前、悪い行いをした人は『地獄』に行く



僕も例外ではなく、子供の頃にそう教わってきた。
そのおかげかこう思う人は多い。
「地獄には行きたくない。だから悪いことはしてはいけない。」と。

そんな考えが幼少期の頃に刷り込まれている人は多いのではないだろうか。

ちなみに『天国』と『地獄』というのはキリスト教の概念であって、仏教において『天国』とは『極楽浄土』のことを指す。

生き物の命を奪う行為は良いor悪い?

悪い行いをした人は地獄に行く。
では、生き物の命を奪うことは良い行いだろうか?

たいていの人が「悪い行い」と答えるだろう。
なぜなら、これもまた幼少期に悪い行いであると教わってきたからだ。

命の大切さはどこで学ぶのか

「生き物の命を奪うことは悪い行いである」と教わってきた。
でも、それはいつどこで?

幼少期を少し思い出してみる。
小学校ではメダカ、ザリガニ、ハムスター、ウサギ、ニワトリなど多くの生き物を飼っていた。
多くの子供たちが、そこで生き物の命の大切さを学ぶのだ。

「どんな理由があっても故意に生き物を傷つけてはならない。」
と学ぶのである。

「生き物は大切にしましょう」と先生や親から教わる。
「食料や駆除の目的でなら殺めてもよい生き物がいます」とは教わらない。

だから多くの人が『シカの命を奪う行為は悪いこと』という考えからなかなか抜け出せないのだ。
だから、僕が猟師になってシカを殺めた時、僕の死後の行き先は地獄になるのだ。

シカがかわいそう

「猟師になりたい」と誰かに伝えるとしばしば言われることがある。
「シカがかわいそうだとは思わないの?」と。
声のトーン的に、これを聞いてくる人はたぶん悪気はないんだと思う。

でもこの「かわいそう」という言葉が、狩猟が悪い行いかのような感覚を激しく押し付けてくるのだ。

かわいそうなのはシカだけ?

かわいそうなのはシカだけではない。
だから、狩猟を行う猟師だけが悪者というわけではない。
最近は魚を採る漁師も、食肉の畜産農家もみんな悪者になりつつある。
「生き物を殺すな」と。

野菜を栽培する農家さえ悪者と考える人もいる。
だって植物だって生きているのだから。

知性の高いクジラだけが生き物ではない。
動物だけが生き物ではない。
植物だって生きている。
微生物だってみんな生きている。

だけどそれならなぜ、何千何万という数のバクテリアを踏み潰す行為はかわいそうとは思われないのだろうか?
バクテリアだって生きているのに。

目に見えないものならかわいそうではないのだろうか?
鳴かない生物ならかわいそうではないのだろうか?
動かない生物ならかわいそうではないのだろうか?
痛覚が無い生物ならかわいそうではないのだろうか?
知性が無い生物ならかわいそうではないのだろうか?

動物とか植物とかは人間が勝手に付けた分類であって、1個体の生物には等しく1つの命があるのになぜ分類によってかわいそうだったりかわいそうではなかったりするのだろうか?
かわいそうってなんだろうか?

かわいそうだなんて言わないで

全部人間のエゴなのかもしれない。
地球上に存在する多くの生物の最大の天敵は人間なのだから。

「かわいそう」という言葉を使うと自分だけが食物連鎖の輪から抜け出せるような気がするのはわかる。でもそれは"気がするだけ"であって、人間として生きている以上、完全に抜け出すことなんて不可能だ。

だから「かわいそう」だなんて言わないで。
僕だってシカが憎くて猟師になりたいわけじゃない。

正しさってなんだろう

もしも地獄が辛い場所なら僕は地獄には行きたく無い。
地獄なんて存在しないで欲しい。
僕が死に、心臓が止まれば脳が死に、本能も理性も無くなり、何も考えることが出来ず、ただ空っぽの肉体が残るだけであって欲しい。
"魂"なんていう概念が存在しないで欲しい。
食料や駆除のために命を奪う行為はかならずしも"悪"ではないと信じたい。
そう信じることでしか、猟師を続けることは出来ないのだから。
正しい存在であると信じることが、人間が人間として生きていける理由なのだから。

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