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映画感想回:オッペンハイマー

先ほどオッペンハイマーをようやく見ました!

基本的には良くも悪くも政治的な主義主張思想とかないですし、日々ぼんやり過ごしてるタイプの私がこの映画を見た感想をまとめてみようと思いました

原爆と聞いて思い浮かべる物に、画像のようなキノコ雲を想像する方は多いと思います
映画冒頭にて、ギリシア神話のプロメテウスがゼウス神から火を盗み人類に分け与えた結果、罰として岩に括り付けられる拷問刑に課された〜が引用されて本編スタート
原爆という炎が生まれるまでのアメリカの闇を含む歴史振り返りが始まるのである

オッペンハイマーやアインシュタイン、エドワード・テラーなどなどあの時代のアメリカおよびユダヤ人の著名な科学者がわんさか出てくるので歴史とか科学のオタクだと世界観の把握が早い

まあそんな天才たちがファシズム勢力筆頭のナチスドイツ勢力との原爆開発レースがこの物語のメインになっているかと思います

歴史上の偉人を振り返る系の映画としては珍しくオッペンハイマーの誕生から幼少期までの描写は一切なく、大学院生時代〜冷戦までの大人時代のみを切り取った作品なので、視聴者がオッペンハイマー応援団にならなさそうな構造なのかなと思います(幼少期からの成長を見せられると人間はどうしても好意的な印象になりがちなので)

↑はこの映画においてかなり大事な要素だと個人的には思っているので強調させております

この映画、まじで主要な登場人物に純粋な善人が1人もおらんのです!!!

こんな美しくも不穏な背景をバックに映っているナイスミドルなオッペンハイマーですが、二面性激しすぎでサイコパス味さえある
浮気不倫なんて古今東西よくありすぎるスキャンダルなので行為の善悪はともかく、まだ欲望に素直な人間性が垣間見えて可愛らしい

共産党との関わりを巧妙に隠しながら(映画ではオッペンハイマー自身はうまく隠せていたつもりだったと思います)、原爆開発プロジェクトのリーダーに就任とかいう当時のアメリカ情勢考えたら狂気の沙汰なのですが、政治思想はともかくとして科学者としては彼が適任だったのでしょうね
共産党との関わりも彼自身が賛成してるわけでもないので、周りが勝手になんかしてるだけ感もあると言えばあるのですが、、、

彼の二面性を示すわかりやすい場面としては劇中で2つあると思います

1.元妻の自殺
2.原爆の広島投下後のスピーチ 

1.に関して言えば、お前が必要なのわかっているならば不倫中出しSEXするなぼけとツッコミたくなりますが、大事なのは自殺を知った後の場面
現妻(不倫中出しSEXして子供孕んだ方)が森林で泣いているオッペンハイマーを発見
駆け寄る現妻に彼女には僕が必要だったんだ〜僕の責任だ〜とメソメソ
あそこで奥さんが顔面を容赦なくぶん殴ってくれればスッキリしたけれど、ただ奮起だけさせるのが妙にリアリティあって嫌であるが納得
夫としては💩でも科学者としては劇中描写的にアメリカで1番大事な存在だしなあというお気持ち

不倫浮気からの離婚もてめえが始めた物語だろ???てめえが今すぐ腹切るなり首吊るなりして死ぬか、全てに目瞑って見なかったことにしろや💢という謎の怒りが湧いてくるんですよね、あの場面 
倫理的にアウトなの知っててやった行為なのに、何か起きたら責任感で潰れかける程度の善性はあるクズ
欲望に溺れて序盤では衝動的に青酸カリで人殺そうとするし、欲望に溺れて子供作って夫婦関係オワオワリ
その上で作った子供は映画では完全ノータッチというクズ親父ぷり
そんな人間に責任感など、、、察しである

あれどこかでこんな人間見た気がするな
あっ!太宰治!
なんでクズって才能あってモテるのか、いや才能あってモテるからクズになるのか、、、

2.の原爆投下後のスピーチに関しては史実でも色々あるようですが、そこはスルーして劇中描写のみで見ると酒やらドラッグやらで完全にハイになってやらかした後に酔いが冷めたクズ極まり

日本国内では直接的な原爆投下からその被害を視覚的な方法で描写されてないことに色々と意見が出ている一連のシーンですが、彼の原爆に関するスタンスは一貫性がないように見受けられます

科学者としては原爆の開発を望み使用にも賛成のスタンス(ヒトラー自殺後のまだ日本が残ってるのシーンが顕著)
地球に住む1人の人間としては一度使えば地球および星をも破壊する炎であると考えるスタンス(アインシュタインとの会話、戦中〜戦後テラーの水爆に対し反対するスタンス)

物語のザ!悪役のようなマッドサイエンティストにもなりきれず、かといって世界(主にアメリカ)から与えられた自分の役割を放棄することもできずで、良心の呵責に耐えけれなかった結果があのスピーチと皮膚が溶け黒炭の死体が足に絡まる描写に繋がったのかなと思います

成功を言葉で祝いながら心中では死にゆく日本人を想うオッペンハイマー

トリニティ実験からある程度被害の規模は想定できていたろうにと思わなくもないが、劇中のスピーチを聞いている科学者仲間の描写を見ると「日本憎し!!!日本人死すべし」を体現するかのような歓喜の足踏みに拍手喝采👏を見ると、これはオッペンハイマー氏だけが原爆に罪を感じているかのように見えなくもない
制作側(この場合はアメリカおよびアメリカ人)の自己弁護に見えるという意見も分からなくはないし、私もそのような考えが全く浮かばなかった訳ではない 

ただ、だからといってこの映画を歴史修正主義の手先かのように批判するのは間違えていると思う

原爆の父という決して純粋なヒーローにはなりえない存在ではあるが、与えられた役割を全うしたという点ではあの時代を懸命に生きた人間として正しいのかもしれない

大戦中の日本においても特攻隊や731部隊など現代の倫理観や世論から見ると許されざることでも、当時はただひたすらに今を生きて国家から与えられた役割を真っ当に果たそうとした人間を100%悪人で罪人と評価することは私個人としてはとてもできない
さりとてそれらが正しい行為であったと評価することもしたくない


無責任な考え方と言われればそうであることを認めるが、そもそも当時を生きた者以外がその時代を評価するなど許されざることであるべきではないだろうか?

この感想の序盤でも述べたが、この映画には純粋な善人は1人たりともしっかりとは描写されていない
オッペンハイマーの物語として登場する人物には誰しもが何らかの罪を背負っている
キリスト教圏内において子供は無垢な存在であるという考え方があると聞いている
主人公であるオッペンハイマーの子供時代の描写が一切なかったのは、無垢な時代がない=オッペンハイマーは罪を背負いながらも歴史をひたすら必死に駆け抜けた過去の人として描くためではなかったのだろうか???
これは今を生きる我々も同じことであろう


結論
この作品が伝えたかったことは、多くの人間が罪を背負いながらもその時代を懸命に生きているということではないだろうか?
世界は単純な善悪正否で判断はつけられないが今を生きる人間が懸命に時代を駆け抜ける姿は、「美しい」
だから頑張れよ!という応援を受けた気がする作品なのかなと思います

原爆という人類には到底扱いきれない炎を与えられた私達が、未来のためにできることをしっかり探したまえ

となぜか上から目線で脳内架空存在無責任セクシーオジ様オッペンハイマーが明らかに僕のキャパオーバーな宿題を出しているようなので、平和な世界でのんびりアニメ観てゲームして昼寝できる世界が続きますようにとお祈りをしておきます

ぼざろ劇場版楽しみだな〜


終わり

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