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『石垣親雲上永将の娘マブヤ』

「私は宮良の主、石垣親雲上永将の娘である。何ひとつ怖じることはなく、恥ずることはない。」

刑の準備は進められていった。浜に集められた薪の山。真っ白な砂の上にはマブヤを縛りつけ、生きたまま火で焼き殺すための木柱が横たえられていた。
父の石垣永将に落ち度があり、罰を受けるに足る罪があったとしても、私自身に落ち度は寸分もない。他人が人の心の中に宿るものを裁くことはできぬ。それがたとえ首里の王府や薩摩や江戸の幕府がよこしまな教えだと断罪するものであったとしても。石垣島の宮良の主の娘としての誇りを失いはしない、寸分たりとも。
マブヤがゆっくりと瞳を閉じるのが見えた。
その時、影絵のように青空を切り裂きよぎった岩燕にマブヤは心を託した。岩燕はマブヤのアニマを受けて驚き、傾き、きりもみして落ちてゆき、地面にたたきつけられるかという瞬間、身をひるがえし、再び風に乗り、空に舞い上がった。
宮古の島の形がくっきりと見えた。
「これが宮古の島の形か。」
岩燕の瞳を通してマブヤは初めてそのすべての姿を見た。
サンゴ礁に縁取られた海は藍と碧を海深によって鮮やかにわけ、浜は陽を受けて白く輝き、海の彼方を勇魚の群れが潮を吹いて勇壮に泳ぎゆくのが見えた。
緑なす大地にはマブヤが村役のエイルやその妻サラムらと歩きめぐった村々が点在するのを見た。それぞれの島人の戸惑う顔を思い出した。甘藷と琉球藍の栽培を勧めた時のその者たちの戸惑いと迷惑そうな顔色。それでも三人の説得を受け少しずつ広げてきた耕地。今やその畑が濃い葉色を翻しているのが見えた。
旱魃が定期的に訪れる島に甘藷を広げれば、ソテツを食べ中毒で亡くなる子が減る。藍は上布を鮮やかな海の色に染め上げることができる。マブヤが宮古に来て十三年、島の暮らしは少しずつ変わりつつあった。
岩燕はさらにどこまでも空高く舞い上がったが、マブヤの故郷の島影までを見つけることはできなかった。故郷の石垣は遥か三十里も南の彼方だった。
マブヤのアニマは、顔を曇らせることもなく青空をゆく岩燕を見上げて胸を張っている我が姿を記憶にとどめた。その凛々しい姿が島の者らを惹きつけ、沈黙を強いていたことも。
岩燕は強い風の流れを翼に受け、反転し、ヒナらの待つ窟屋の巣に戻った。
窟屋の隙間には何万という燕たちが巣を営み、飛び交う親鳥たちはヒナの鳴き声を聞き別けること、大きく広げた赤い口に食べ物を押し込むこと、それだけに喜びを感じて狂奔している。岩燕はその数万の群の中に戻った。
咲き乱れる花々、月桃の葉に這う芋虫を見つけた岩燕は、それに襲い掛かる瞬間に同じ獲物を狙っていた緑蜥蜴にマブヤのアニマを預けた。驚いた緑蜥蜴は地面に落ちてもんどりうった。マブヤのアニマは緑蜥蜴には重すぎて苦しかった。
虫たちの鳴き声と、虫たちが這い回る落ち葉の擦れあうかすかな音に満ちた地上に落ち、あがいているところにいた箱亀が素早く首を伸ばして緑蜥蜴を咥えた。緑蜥蜴は、残念だ、俺は食われるのだなと覚悟した瞬間、重すぎて己の命を失うことになったマブヤのアニマを箱亀に押し込んだ。
箱亀は天から落ちてきた恵みの蜥蜴を食らいながら、マブヤのアニマをその甲羅の中に確かに受け取るとそのまま湿った柔らかな土を搔き、潜ると、眠りについた。
長く眠ったような気がした。
しかし、起きたのは翌日の昼頃だった気もする。それほど長く眠っていたのだ。
目覚めた箱亀はそこがすでに熱帯の森ではなく人の集落に代っていることに気づき、せわしく動く人の群れや、時折見たことのない巨大な箱亀が人を背に乗せ、臭い煙を吐き、土ぼこりを立てながら行きかう様にうんざりした。樹木と水の匂いを空気の流れの中に探し、ゆっくりと歩きだした。 平穏で安心できる島の南西に突き出した静かな岬をめざした。

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