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私であるということ。

「自分の意識はちゃんと自分の体の中にいるの?」
という問いはかなり幼い頃から持ち続けた疑問でした。

自分という人間、他者という感覚。線引きが難しくて、影響されて自分が作られてる気がする。それは正しくもあり、しかし同時に間違いでもある。人は影響されつつも逆をいったり、自分のことでさえ自分では理解出来ていないこともあるからだと思う。

でも小学校・中学校と、鳥籠の中で育って守られてきて、高校あたりから「あなたらしさ」というものに目を向けるようになった時、私らしさ?とは一体?となった人もいらっしゃるのではないですか??

私は比較的幼い頃から「Maiyaワールド」や「Maiyaらしい」など言っていただくことの多い、いわゆる Going my way な子どもでしたので、個性は大切にして良いことを子どもながらに信じて生きていくことができていました。

だから自分らしさに迷うことなく生きていました。あの時までは。

あの時とは、宝塚受験生としての一年を終えて、四年制大学へ通うことを決めたあたり、だったように思います。私は宝塚受験を辞めて大学生として京都生活を謳歌しよう!と心に決めて、受験生時代、頑張りました(自分で言うスタイル)。そして兼ねてから興味津々であった心理学の道に進み、「自分見つけ(探しではなくあえての『見つけ』)」に奮闘しました。そして自分らしさを見失いました。

心理学を勉強していく中で見えてきたのは「人は皆同じであり、人は皆誰一人として同じでは無い」ということです。発達障害やグレーゾーン、類型論や脳神経、ポジティブ心理学などを学ぶ中で、特性という項目はみんな持っていて、どれがどれほどの強さで持っているのか、で「性格」というものができ上がり、そして本人の生活の中でキャラクターが内からも外からも作られていく。個性とはなんなのだ。そして私は辿り着きます。

「らしさなんて棄ててしまえ。」

そう思ってからの私は、今までで一番自分らしく生きられているように思います。ここまで辿り着くのにかなり時間がかかりました。ここに辿り着いてからまだ一年くらいです(笑)。らしさを棄てた、そんなMaiyaのお話。宜しければ時間つぶしにでも読んでみてください。個性にこだわるのを辞めると個性的になるような気がする。そんなお話でした。

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