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記憶は人の都合で変わってしまうから、だから書いて残したいと思った(後編)


先にこちらからお読みください
https://note.com/maito/n/ndad2634f418f



ずいぶんと回想してしまった。
もう少し回想はつづく。
9月2日(水)
ついにMの主治医だった先生とお会いする時がやってきた。
ぼくが大学に入ってからはじめてMの家に行ったとき、Mは先生との出会いを詳細に語ってくれた。
救急で入院した先で出会ったこと、それからずっと診続けてもらっていること、まいとも診てもらいよー!となぜかぼくにも勧めてきたこと。
ぼくは医療になんて頼るものかと肩肘突っ張っていたら目の前で電話し始めたのでちょっと焦った。
「あー、もしもし先生?今から行っていい?」
えええ!?そんなことある!?!!!
「いいって。行こー!」
もう、色々衝撃だった。

この時の記憶がなかったんだけど先生とお会いしたときに付き添いで来た人がぼくだったらしいので、きっとこの時のことだと思った。
ぼくの中で先生の診察をはじめて受けたのは、ぼくが自殺未遂をしたあと、Mが入院していたときに受診に行ったときだと思っていたんだけどどうやら違ったっぽい。
ほんと、自分の記憶はアテにならないと思った。

まったく記憶にないけれど、付き添いで行ったとき、先生は2人を抱えることはできないとぼくに伝えたらしい。

お会いしたときに教えてくれた。

きっとぼくはずっと羨ましかったんだと思った。

ぼくも誰かに助けてほしかった。
ずっとずっと助けてほしかった。

「あなたはかしこいから」
「君は頭がいい」

そう言っていつも後回しにされてしまう。

ほんとはかしこくなんてないのに。
心の中ではちきれそうな思いをいつも抱えているのに、周りからは平気に見えてしまうようで、誰にもそんな思いを伝えることはできなかった。

先生とはいろんなことをおはなしした。
今日に至るまで、虐待どっとネットに対する思い、Mが亡くなったときのこと、日が暮れるまで時間を共有してくださった。

ーこれだ。

虐待どっとネットが目指す"おともだち"のかたち。
見えた気がした。

それでも自分の中にドス黒い気持ちが渦巻いていることに気がついた。

羨ましい気持ちと同胞葛藤

帰宅後、ありえないくらい涙が出てきた。
僕はずっとMが羨ましかったんだ…ぼくも24時間365日抱えてくださる先生に出会いたかった…なのになんで死んじゃったの…?生きててほしかったよ…なんで、なんで、なんで…
もうダメだった。十数年分、フタをしていたところが開いた。
そんな自分がとても愚かで情けなくて恥ずかしくてもう抱えきれなくて翌日病院に電話した。
通院先は週1しか先生がいない。受付の方が「調子わるい?連絡付き次第、心理士さんから電話してもらいましょう。ちょっと待ってて」と言ってくださり、秒で心理士さんから電話がかかってきた。

電話でおもいっきり泣いた。
せんせいは
「そっかそっかー、うんうんー、よしよしー、」とひたすら肯定してくれた。
そして
「同胞葛藤という言葉がね、あるんですよ」
と言って血が繋がっていないとはいえ、兄妹のように育ってきたのだから何もおかしいことではないと言ってくれた。
それでもまだぼくの中にはうらやましいさんに、さみしいさん、怒りさんなど、様々な感情が顔を出した。

だけど出てくるべくして出てきたんだとも思えた。

先生に会わせてあげれてよかった

亡くなって4年になる。
先生と一緒にお寺に行って今回はじめてMと先生を会わせてあげられた。
実は行くまでにいろんなことがあった。まず、電車が止まった。向かいのホームに人が落ちた。
「お医者さんはいませんか?」に遭遇したのである。
先生が「ん?お医者さんいませんかって言ってる?」と言い、小走りで向かい側のホームに飛んでいった。
なかなか帰ってこず、非常ブザーの音がけたたましく鳴り怖くなってきたので僕も移動すると先生がホームに降りて救助活動していた。超かっこよかった。
そしてなんとかお寺までついたら今度はなんとお寺のシステムが壊れていて2時間後でないと復旧しないと。こんなことは滅多にないのですが…と住職さんもタジタジだった。
せっかく来たから…ということで待たせてもらうことにした。
Mの中にいてる子が大好きだったかっぱえびせんとオレンジジュースを持っていき、先生と一緒に食べた。

そしてようやく、お参りができて。
Mが眠るお寺は最新のシステムでカード式でタッチすると遺骨が運ばれてきて、写真が自動で流れる。先生とMの写真を見ながら思い出話をして笑った。
Mは先生が来るのを拒否ってるんやなーなんて思ったけど、会わせてあげられてよかったなと思った。きっとMが1番会いたかったのは先生だったと思うから。
やっぱりぼくにとっては唯一の家族で今も1番大切な人。
大事で大切で、一緒に生きていたかった人。
それでもいつもがんばっていたことを知っていたから、お疲れ様としか言えなかった。
ぼくはもう2度とMや自分と同じような思いをする人が世の中からいなくなるような社会をつくる1人でありたいと思う。

遺された者として、どうして自分だけが生き残ってしまっているのかとかいろいろと考えることはたくさんあったけれど、これからも僕の中で一緒に生き続けていけたらいいなと思う。永遠に大切な人であることは変わらない。


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