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うちはうち、よそはよそ

職場の同じ年齢の同僚が妊娠している。
おめでたいことだけど、私は複雑な気持ちでいる。
ちょうど事情があって、完全に子供を諦める決断をしたばかりだったからだ。
タイミングが悪かった。
少し前の自分だったら耐えられなかったかもしれないと思った。

私は子供がいないことが長年コンプレックスになっていた。
子供がいないと周りからとやかく言われることが多い。

それでも年齢的なこともあってか最近はあまり言われなくなってきた。

今までに色々なことを言われ過ぎて、子供がいないことは根深い闇みたいになっている。

今まで言われて嫌な気持ちになった言葉は、ずっと忘れることができない。

よく言われたのはこんな言葉。

「結婚してるのになんで子供いないの? 」
結婚している=子供がいる だと思っている人が結構いる。
なんで?って言われても困る。

「子供がいた方が楽しいよ? 」
子供がいないと楽しくないとは限らない。
「子供いないんだ、寂しいね」
なんて言われたこともある。
寂しいかどうかは他人が決めることじゃない。

地味にダメージが大きいのは、友達に子供が生まれたとき
「次は○○ちゃんの番だね! 」と言われること。
「今のうちに練習しときなよ!」と言って自分の子供を抱っこさせてきたり、お世話の練習をさせようとしてくるのも反応に困る。
余計なお世話なんだよなぁ、と思いながらも上手く断れない。
このあたりは悪気がないのが分かるので、その場では愛想笑いして家でこっそり泣いた。

職場などでは「子供は何歳?」とか子供がいる前提の質問をしてきて、「子供はいないんです」と言うと、「ごめんね!失礼なこと聞いてごめんね!」とすごく謝られることも面倒くさかった。
そんなに謝られると子供がいないことが不幸だと決めつけられてる感じがして、余計に傷ついた。
こちらからしたら別に謝られる筋合いはないのに。

30代の半ばくらいまでは、そういう言葉にいちいち傷ついていた。
友達とのランチや飲み会でも、必ずと言っていいほど子供の話で盛り上がるので、その場では楽しく笑っていたけど、家に帰ってから急に悲しくなったりもした。

ちょうどその頃は接客業だったので、赤ちゃんを連れたファミリーの接客も嫌だった。
勝手な思い過ごしだけど、わたしの赤ちゃん可愛いでしょ?いいでしょ?って見せつけられているような気持ちになって辛かった。

そんな時に限って、住んでいる部屋の上の階で赤ちゃんが生まれて、毎朝、毎晩、赤ちゃんの泣き声が聞こえてきて、家にいてもストレスが溜まった。
その子が歩くようになったら、泣き声に加えて走り回る足音まで聞こえてきて、頭がおかしくなりそうだった。

なんなら、友達からの「赤ちゃんが生まれました」の年賀状もしんどかった。

そんな時期を乗り越えて、今は「子供がいなくても、楽しく生きていけたら幸せかな」と思えるようになっている。

だから身体的な事情で、まだ望みがあったのが、完全に諦めなければならない状況に変わってしまった時も冷静でいられた。
逆に諦めがついたのかもしれない。

少し前までは、もしかしたらこれから…と期待する気持ちはあった。
だけど今になって人工的にどうにかすれば可能性はある、という僅かな可能性しかなくなってしまい、悩んだ末に夫婦2人で楽しく生きようという決意をした。
それは自分たちで決めたことだ。

でも、やっと踏ん切りがついたところで、同じ年齢の同僚が2人目の子を妊娠したと聞いたらさすがに少し落ち込んだ。
気にしないようにしていたけど、大きいお腹を大切そうにして歩いている姿が、どうしても目に入ってしまう。
みんなが祝福している輪の中に入っていけない自分がいる。

うちはうち、よそはよそ!
私はこれでいいんだ、幸せなんだ!
そう言い聞かせて……


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