2月、抜けない小骨

また今年も2月がやってきた。まだ朝晩は寒いけれど、だんだんと日が延びて花粉の気配を感じる。確実に暗い冬から明るい春へと季節が移り変わろうとしている。でも、私の2月にはずっと小骨が刺さっている。

2月の因縁はわりと深い。社会人2年目、IT企業の隅っこでプログラマー兼SE見習いだったころ。駆け出しのJavaエンジニア(なんかちょっとかっこいいでしょ、響きだけ)。人生で始めての、そして1、2位を争う繁忙期だった。というか、炎上プロジェクトに放り込まれた。

ちなみにこの2月、私は仕事だけでなく私生活も繁忙期。よりによってこんなときに、のタイミングでの引越しと入籍だった。

毎日毎日遅くまでコードにかじりついた。非プログラマーのプロジェクトリーダーが書いた設計書は、なんというか、ふんわりしていた。プロジェクトメンバーは4人だけなのに、どう考えても人間の手では終わらなさそうなテストケースの数だった(テスト自動化できないレガシー案件だった)。おまけに、会社から支給されたPCのスペックが足りなくて、ファンがものすごい音を立ててしょっちゅうフリーズしたり、Excelを開く度に強制終了したりした。

当然、そんな調子で引越しの準備は全く進まず、空っぽの段ボール箱が虚しく部屋に転がっていた(結局見かねた母親が手伝ってくれた。駄目な子……)。

そんな状況でも、この頃はそんなにつらいと思わなかった。1年目の頃から一緒に仕事をしていた技術面の相談に乗ってくれる協力社員の先輩がいて、何かと気にかけてくれたからだ。

なかなかクセの強い人だった。コーディングしているときの独り言はめちゃくちゃ大きいし、飲み会ではいつの間にか消えている。ちょっと難しい人。でも職人気質というか姉御肌で、コードを書くのは早いし、どんなに面倒な対応でも困っていると「指示もらえればやるよ」とぼそっと助け舟を出してくれる。若手が困っているときは絶対に放っておかなくて、なんだかんだ面倒見がいい。

難しいキャラクターでチームからは少し浮いていたけれど、私はその先輩との仕事が好きだった。そして私の仕事ぶりをとても買ってくれた。都合上、チームの最若手ながらお客さんとのやり取りの最前線に立たされた私が、精一杯背伸びして「会社の顔」とやらを演じたのを気に入ってくれたらしい。

「あなたと仕事すると面白い」と言ってくれて、たまにポンコツなミスをやらかすと「ときどき忘れちゃうけど、まだ2年目なのねぇ」と笑ってくれた。私が入籍したときは「ん」とゴディバのでっかい箱をくれた。

その後、私の担当案件が変わり、その先輩と一緒に仕事をする機会はなくなり、協力社員である先輩はやがて離任が決まった。

最後の日に、送別会の席でこっそりもらった「あなたはどこ行っても大丈夫」という言葉がいつも私の背中を押してくれた。会社にいる間、私はこの言葉を支えに過ごしていた。

でも、結局、私は全然「大丈夫」ではなくなってしまった。

またある2月。私はまた炎上案件の渦中にいた。

性能検証の結果が想定をはるかに下回った。アプリなのか、SQLなのか、データベースの設定なのか、それともテストデータがおかしいのか……大人がたくさん集まってうんうん唸ってもなかなか改善しなかった。空気は最悪。私は何となく板挟み状態で、でも手も動かさないといけなくて、それなりにプレッシャーを感じていた。作業量がそれほど多かったわけではない。でも確実に私の心を蝕んだ。

これをきっかけにずぶずぶと沼にはまっていくように心身の調子がおかしくなった。しばらくして、電車に乗るたびお腹が痛くなったり心臓がばくばくするようになって、これはまずいと駆け込んだ心療内科で適応障害と診断された。

そこから数ヶ月の休職を経て復帰したものの、体調は万全とは言えなくて、周りに迷惑をかけながら何とか誤魔化し誤魔化し仕事をしていた。このままじゃ駄目だなあ、どうにもならないなあ、と思ってとうとう私は会社を逃げるように辞めた。

ふと今も、あの先輩がかけてくれた言葉を思い出す。「あなたはどこ行っても大丈夫」、その言葉を支えにどうにかやってきた。でも、大丈夫じゃなくなってしまった。連絡先も知っていたのに、会社を辞めたことの報告すらできなかった。私、エンジニアですらなくなってしまった。どう顔向けしたらいいかも分からなくて。ごめんなさい。何も先輩に返せなかったな。

この話をすると少し泣いてしまう。心に刺さった小骨が抜けなくて、普段はなんてことないのだけど、ときどき起き上がれなくなった日を思い出してはちくちくと痛む。

2月、私の小骨はまだ抜けない。

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