「推し」も「推したい気持ち」も消費されてんじゃねーよって話。
数週間前、とある写真家のツイートがTLに現れた。
「〇さんの写真集作りたいな」
〇さんは私が応援している俳優、いわゆる推しと思しきイニシャル。
へえ、いいな、写真集。この方が撮った写真、よかったもんな。
「このツイートが〇〇RTされたら企画出そうかな」
ぶちっと何かが切れた。
このツイートがすごーーーーーーく私は嫌だった。
これまでもこのツイート主は推しとの作品を投稿していて、推しの人気やファンたちのパッションやレスポンスのよさを知っている。知った上で、これをツイートしたであろうこと。そしてそこに吸い寄せられるように集まるファンたちの「あと○RT!」とか「ぜひよろしくお願いします!」というようなリプライや引用リツイートがついていること。すごくすごくすごく嫌だった。
推しのことも、自分たちの推したい気持ちも、消費されて、利用されている気がした。
本当に「○さん」がその俳優かも分からないし、その〇〇RTって数で区切っているのも全然よく分からない。本当にその気なら、数で区切る必要なんてないし、実名出せばいいし(業界の事情はよく分からないけれど、出版社に企画を持ち込むよりも事務所を口説き落とす方が大変なんだろうね)。
もやもやもやもや。
その後、案の定そのリツイートの目標数はすぐに達成された。そりゃそうでしょうよ。
あと何でもかんでも「推し」の枕詞を付ければ尊ばれると思われているような風潮、ちょっと嫌だ。広告も何かにつけて「推し〇〇」って言うじゃん。マーケティングされたくて推してるんじゃないんだよ。何かを好きだと思う気持ち、もうちょっと大事にしようよ。私の好きだ、推したい、という気持ちを蔑ろにするのは、推しを蔑ろにしているのとイコールだから。
もし本当に写真集を出してくれるなら、もちろん嬉しいし買うんだけど。作品に罪はない。
もやもやもやもや。
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