私の悲しみは私のものです
世の中は右を向いても左を向いても、誰かの悲しみで溢れている。
そんな世界の隅っこで私は平凡に生きている。住む家には屋根があって窓があって、暗くなったら灯りをつけて、寒かったり暑かったりしたらエアコンをつけて、食べたいものを食べて、インターネットやテレビを眺めて、お風呂に入って暖かい布団で眠る。突然頭の上に爆弾を落とされたり、誰かに拘束されて自由を奪われたり、日常の中でそういう恐怖を感じることはまずありえない。
何ひとつ不自由のない暮らしをしている私が、悲しいとかつらいとか、そんな弱音を吐くのは許されないんじゃないか。もっとつらい人がいるなら私は私の悲しみを飲み込んでおくべきなんじゃないかと、そう思った。
でも、許されるって誰にだろう?
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昨年の夏、流行り病に関する緊迫したニュースが毎日飛び交っていた。
医療機関の悲惨な状況を伝えるアナウンサーを眺めながらご飯を食べることにももうすっかり慣れてしまった。
そんな中、遠方の田舎に住む私の叔父、つまり母の弟が亡くなったという報せが届いた。死因は心不全。突然だった。しかし、関東に住む母や私は感染拡大の状況を理由に葬儀に参列することができなかった。
連絡を受けたのは夜中だった。電話口の母の声は暗く沈んでいて、途中で父と代わった。私は父と香典や弔電をどうするかといった事務的なやりとりをした。その間、電話の向こうで母の泣き声が聞こえていた。
私は有事ほど冷静になるタイプなので、このときも淡々とやるべきことを終えた。驚きはしたけれどあまり悲しいと感じていなかった。振り返ってみると感情が追いつかなかったのだと思う。
いつも通り、シャワーを浴びてベッドに潜り込む。タオルケットをかぶる。電気を消す。真っ暗に包まれて目を閉じる。そこまでしてようやく私は自分の中の「悲しい」に気がついて、ぽろぽろ泣いた。
知っている人が亡くなった。決してたくさん交流があったわけではないけれど、私にとって優しくて大切な人だった。それ自体悲しい出来事だったけれど、この状況でお別れもできなかった母の気持ちを思うとやるせなくて悲しかった。
「でもこんなときだから、もっと悲しい人がたくさんいるよね」
そうやって溜飲を下げようとする私に夫がぽつりと言う。
「そんなの関係ないよ。悲しいものは悲しい」
そうか、関係ないのか。なぜそんな単純なことを忘れてしまったのだろう。私がいま悲しいという感情の動きに、ほかの人の悲しみは関係ない。
私の悲しみも喜びも、私のものだ。私は私の基準で悲しんでいいし喜んでいい。悲しみは悲しみのままでいい。感情の重さは比べるものではない。それは誰かの悲しみや喜びに寄り添うこととはまったくの別物だ。
現代は簡単に世界とつながることができる。朝でも夜でも私たちは指先ひとつで世界中とつながってしまう。情報を得るには便利だけれど、その全てに感情をつなげていると疲れ果ててしまう。感情はスタンドアロンでいい。
私の悲しみは私のもの。あなたの悲しみはあなたのもの。そうやって割り切るのは冷たいのでも傲慢なのでもなく、尊重するということだ。尊重するというのはつまり「やさしさ」なのだと思う。あなたが感じたことをそのままに認めること。私とあなたの感情が食い違っていても「私はこうだったけど、あなたはそうだったんだね」と言えるやさしさだ。
世の中に悲しみが溢れている。だからこそ私は、自分の悲しみを自分の一部としてちゃんと認めてあげたいと思う。そうすることで私は誰かの悲しみにやさしさを持って寄り添うことができると信じている。