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縮毛矯正に失敗した日の思い出

失敗作。

鏡に映る自分の顔、そしてそこに張り付くうねるセミロングの髪を見た瞬間、その言葉が私の頭を埋め尽くした。先日、行きつけの美容室でかけた縮毛矯正。たっぷり3時間、諭吉先生2枚分。それらとこのうねうねもわもわした顔周りの髪の毛を天秤にかけてもその差が埋まらないのは明白だ。

「弱めの薬剤でダメージを落として、自然な仕上がりを目指します」

そんな美容師の甘い言葉を信じるべきじゃなかった。信じるべきは、私がこの癖毛と約30年付き合ってきたその実績だ。友人の結婚式の日、雨降りの朝にドライヤーとヘアアイロンで苦労しながらセットした髪が、玄関を出て3歩進んだ瞬間にもわっと広がって泣いた日を忘れたのか。標準よりも弱い薬剤であの癖が伸びるわけがないじゃないか。

いつもそう。中途半端に動いてアウトよりも全力で振り抜いて三振、の方が同じ失敗でもいくらか心は軽いとわかっているのに、私はいつも少しだけ逃げ道を残す。それで失敗する。凹む。そろそろ20代も終わりを迎えようとしているというのにそんなところは一向に成長しない。

歪なS字を描く髪の毛をひと束指でつまみ、ちょいと引っ張って、落とす。つまんで、引っ張って、落とす。ぱさり、ぱさり、と肩に落ちる髪は何度でもぐにゃりと曲がる。いつまでも曲がったままの癖毛はまるで私のひねくれた心みたいだった。

◇◇

自己肯定感が低い。大人になってから気づいた大きな欠陥に、私は何度もつまずいている。親から愛されなかったわけでも、成功体験がないわけでもない。ただ、常に他人を基準に自己評価してきたからだと思う。

小学校から中学校くらいまで、プールの授業がひどく苦手だった。学校からほど近くにスイミングスクールがあって、同じクラスにはそこに通っていた子がたくさんいたけれど私は通っていなかった。みんなはかっこいいゴーグルをしてすいすい泳いで行くのに、私の下手くそなバタ足では少しも前に進まなかった。「遅いよ」と後ろの子が言う。私は「ごめんね」と謝ったけれど、謝ったところで速くなんて進めない。水の中ではうまく歩くこともできない。痩せっぽちの体にのしかかる水圧に心まで押しつぶされそうだった。

みんなが大好きなプールの授業は、私にはちっとも楽しくなかった。理由をつけてたびたび見学するようになった。

それから高校ではなんとかその苦痛に耐えられる程度には大人になって(遅くても文句を言ってくるような人がいない環境だったのも大きい)、プールの授業は嫌いながらも全部ちゃんと参加した。だけど、みんなが普通にこなしていることができない、という感覚は今でもときどき私の首を絞める。

「みんなちゃんと働いてるのに」
「みんな子供を産んでるのに」

私の心の奥底から顔も知らない「みんな」の声が聞こえてくる。私は耳を塞ぐけど、心の声は消えない。みんなちゃんとやってるのに、私はできない。私ばっかりうまくいかない。私ばっかり失敗する。

◇◇

肩に落ちたうねる髪の毛をもう一度持ち上げてよくよく検分する。まあ、癖が全然伸びていないわけじゃない。でもたぶんこれは失敗だ。一度縮毛矯正をかけた髪はまっすぐであり続けるはずだ。濡らして、乾かして、それでもやっぱりぐにゃりと歪む髪は矯正されなかったのだと思う。

だけど、やり直しを要求して、美容師に嫌な顔をされたらどうしよう。この程度でやり直しを頼むなんて迷惑なクレーマーだ、と思われたらどうしよう。気まずいだろうな。今度から行きづらくなっちゃうな。みんなこれくらいなら我慢するのかな。私が気にしすぎなのかな。

意気地なしの私はくよくよと悩んだ。ついでに言うと電話をかけるのも苦手だ。面倒だ。だけど、失敗作のままでいるのも嫌だ。かつての私ならこのまま泣き寝入りしていたかもしれないけれど、いまはもう2万円の尊さがわかる大人だ。何より、雨の日の地獄にもう耐えられない。ええい、ままよ! 私は「えいっ」と発信ボタンを押した。

「もし可能だったらお直ししてもらいたくて」

しろどもどろになりながら意を決して発した言葉に、美容師はあっさり言った。

「ぜんっぜん大丈夫。むしろ手間かけてごめんね! いつにする? もしあれだったら今からでも」

1分で解決した。

こうして私は癖毛との戦いの日々からしばし解放されたのである。

【完】

馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないけれど、つくづく損な性格だなあと思うけれど、これがどうしようもない29歳の等身大の私である。相変わらず自己肯定感は低い。全力で振り抜けなくて中途半端なポーズでアウトを取られる。だけど「えいっ」と電話の発信ボタンを押す小さな勇気は身に付けた。

鏡に映る自分の顔と、その周りにすとんと収まる髪を見て、私はほんの少し満足する。ひとまずこれで雨の日を乗り切れる。よくやった。褒めて遣わすぞ、私。

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