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"優しさ"と"正欲"について

"性欲由来の優しさ"というワードが ツイッター便所の落書きを騒がせている。発端は、「男の性欲が消滅したら、男から女への優しさは減少するだろう」というツイートだった。

「性欲が無くなった男の目には、女は"キンキンうるさくてブヨブヨしたキモいチビ"と映るし、女に優しくすることに苦痛を感じるようになる。女がおっさんに優しくすることを苦痛に感じるのと同じように。」というツリーは、多数の女の怒りを呼んだ。
その爆発炎上の音は ツイッター便所の落書きに響き渡り、トレンドに連日"性欲由来の優しさ"が掲載される事態となった。

女はなぜ、このツリーにこぞって怒りを露わにしたのだろうか?
これについて自分の考えをまとめておきたい。

火元ツイートの内容の真偽について

MGTOWを長いことやっていると現実に出会う女を性的な存在として見ることが無くなってくるのだが、その"疑似的に性欲が無くなった"目から見て、この感覚はひじょうに共感できる。
流石に"キンキンうるさくてブヨブヨしたキモいチビ"とまでネガティブな映り方になるかは人によるだろうが、"ただ女であるだけで魅力的に映る"バフ状態が無に帰すことは確かだ。

それだけなら良いのだが、男にとって女というのは"何かの拍子にセクハラや痴漢の冤罪をかけられかねない存在"である。女へのAED使用をめぐる論争が分かりやすいだろう。救命のために服を脱がす必要がある状況においてすら、服を脱がされることに抵抗があると回答する女が多い現状において、男にとって女とは、下手に関わると爆死する火薬庫のようなものだ。性欲が無くなった男は、女から積極的に物理的距離を取るようになるだろう。
更に厄介なことに、業務や生活の都合上会話しなければならない時には、女に優しくするスイッチを入れて、男に対するよりも優しく接する必要がある(少なくとも現状は)。一般的な女への扱い(男より殊更に優しく対応する)に倣わなければ、難癖をつけられるリスクがあるからだ。ここでハラスメントだ何だと騒がれれば、物理的距離を取る努力をしても水の泡である。女にハラスメントを訴えられれば、社会的死が待っていることを男はよく知っている。

つまり、性欲の無くなった男にとって女とは、精々今の男並みの魅力しか無く、わざわざ男に対してよりも物理的距離を取ったり、意識して殊更に優しくしないといけない存在である。もっと端的に表現すれば、邪魔で、面倒で、ともすれば迷惑ですらある生き物とさえいえる。
これは、女にとっての"おっさん"と同じなのではないか?女だって、保身以外の理由で"おっさん"に優しくする気は微塵もないだろうし、"おっさん"にわざわざ優しくすることに苦痛を感じるだろう。

つまり、火元のツリーは特に間違ったことは書いていないのである。
ではなぜ、女はこのツリーに怒りを露わにしたのだろうか?

女が"性欲由来の優しさ"に怒った理由

女が件のツリーに怒りを露わにした理由は単純だ。

女には、「正しい存在として見られたい/見られなければならない」という強迫観念に近しい欲求があるからである。

"正しい存在"であるという状態は、自分の存在や振る舞いに正当性を与えてくれる。"正しい存在"である限り、何をしようとも自由だし、自分が世界に存在しても良いと見做される。そのポジションを獲得し手放したくないという欲求が、「正しい存在として見られたい」という欲求である。
この欲求は、いわば"正欲"と表現できるだろう。承認欲求の一種といいかえても良い。

つまり、女は件のツリーによって「自分たちが"正しい存在"であるという証を棄損された」と考え、"正欲"が爆発し、怒ってしまったのである。

ではなぜ、件のツリーは「女が"正しい存在"であることを否定」してしまったのだろうか?理由は複合的だが、分けるならば4つある。

  1. "優しく"される理由を「自分が"正しい存在"だから」であると認識しているから

  2. 「より地位の高い存在から、より多くの"優しさ"を享受する女ほど、より"正しい"、ステータスの高い女である」と認識しているから

  3. 性嫌悪(特に地位の低い男から向けられる性欲への激しい嫌悪)

  4. 女の"負の性欲"を刺激したから

女は"優しく"される理由を「自分が"正しい存在"だから」であると認識している

女にとって、"優しさ"を受けることは「自分が"正しい存在"であること」の証明である。
女は何かと"自分磨き"という言葉を好むが、これは「自分を磨けていない="正しくない"」「"正しくない"人間には"優しさ"はやってこない」という観念を強く内面化していることを示す。逆にいえば、「"正しい"人間は周囲から"優しく"してもらえるはず」という認識なのである。
フェミニストが男女平等を建前に際限なく女の高待遇を求めるのは、単純な利益目的もあるが、これも理由である。「社会から"優しく"されればされるほど、女の"正しさ"をよりはっきりと証明できる」という"正欲"由来の理由だ。

女は「より地位の高い存在から、より多くの"優しさ"を享受する女ほど、より"正しい"、ステータスの高い女である」と認識している

女は"優しさ"を選別する。具体的には、より地位の高い存在からの"優しさ"を求め、地位の低い存在からの"優しさ"は拒絶し、"優しさ"とは認めない。

この選別は無意識的に行われていることだが、大っぴらにしてしまうと自らの"正しさ"が失われてしまうので、「あなたのは優しさじゃなくて弱さ」などと切断処理を行う。
その一方で、"強い"男="正しい"男からの"優しさ"は、「自らの"正しさ"を強く証明してくれるもの」としてアピールする。女の二言目には「彼氏が/夫が」と出てくるのは、「自分は"強い男"から"優しさ"を受けられるとても"正しい存在"なのだ」というステータスの誇示に他ならない。夫のステータスで妻コミュニティの序列が決まったりする事例も、この価値観によるものだ。

女は性欲を嫌悪している

女は"性欲由来の優しさ"を嫌悪し、"正しくない"ものと断定して、欲しい"優しさ"から切断したがる。

何故ならば、女にとって"性欲"とは、"正しくない存在"から向けられる"加害"を指すからである。

もし男から女への特段の"優しさ"が"正しくない""性欲"由来であるという言説を吞んでしまえば、「"優しさ"を受けられる="正しさ"の証明」理論が根底から揺らぎ、崩壊してしまう。
この認知的不協和から女は怒り、「人間なら子供や老人に優しくするでしょう!」とか「性欲が無くなったくらいで女に優しくできなくなるのは社会性が無いからだ!」と、(的外れな)道徳や"正しさ"を引っ張り出して、道徳的優位性マウントのポーズを取りながら火元を叩いた。

女の"負の性欲"

これは浅薄にも当初筆者の頭には無かったのだが、"負の性欲"と呼ばれる概念と絡めた説明が登場し、納得の要素だったので噛み砕いていく。

女がどう認知していようと、実際には"正しい"男だろうが"正しくない"男だろうが、女に向ける優しさには"性欲由来の優しさ"が多分に含まれる。しかし、先ほども述べた通り、"正しくない"男=ステータスの低い男からの優しさを、女は選別して排除する。

「気の弱い男="正しくない"男」の"優しさ"は、「優しさじゃなくて弱さだ」という訳だ。

これは、「"正しい存在"である女に、女が望まない"性欲"を向ける雑魚男、非モテは"正しくない存在"であり、徹底的に排除することが"正しい"」というのが女の世界観であるからである。
ステータスの高い男が施す"性欲由来の優しさ"のみを"優しさ"と定義して、ステータスの低い男の"性欲由来の優しさ"は憎き"性欲"と切断し、ステータスの低い男を"悪しき性欲に溺れた正しくない存在"と規定する。これによってステータスの低い男の排除を正当化するのが、女の常套手段なのだ。

しかし、もしステータスの高い男の"優しさ"が、嫌悪してやまない"性欲"由来だったとしたら?自分を"正しい"存在と証明してくれる"正しい"男=ステータスの高い男の"優しさ"が、実は"正しくない""性欲"に由来していたとしたら?
そんなことになったら、自分の"正しさ"が棄損されてしまうばかりか、自分の"男を見る目の良さ"が否定されてしまうのである

これを説明する概念として、"負の性欲"という言葉が話題になったことがある。

まず、①男をキモがる心理について結論から言うと、これは女の性欲の一種なんだよね。
性欲と言っても、男の性欲のようなエロいことしたい、というものとは異なるものであって男はほとんど感じることのない情動だから説明が難しいけども、あえて言うなら男からの接触を排除するための嫌悪感、マイナスの性欲だ。

男が、女とセックスしたいと欲情するのが「正の性欲」であるならば、女が魅力的でない男とセックスしたくないと嫌悪感を抱くのが「負の性欲」とでも呼ぶべきものなんだ。

優秀でない男とセックスしたら、優秀ではない遺伝子を孕んでしまうから。生物として次世代以降が生き残れる遺伝子を獲得するため、男を慎重に選別する必要がある。そこで、女は魅力的でないと判断した男を近くにいるだけで激しい生理的嫌悪感を抱くように本能にインプットされているんだ。

男は正の性欲に、女は負の性欲に本能に支配されてるんだけども、男の正の性欲は可視化されているから男の性欲は「サルみたい」とあざ笑われるけど、女の負の性欲は性欲であると認識されていないから、男に対してキモいキモい言いたい放題言う社会になってる。

https://web.archive.org/web/20190928032959/http://senyousociety.blog79.fc2.com/blog-entry-62.html より

この"負の性欲"を充足するためには、女自身の"男を見る目"が生命線となる。選別を間違ってしまえば、優秀でない遺伝子を孕んでしまうからだ。

ゆえに、間違っても自分の"男を見る目"が大したことないなどということになっては困るのである。それは優秀でない遺伝子を孕む危険に自身が晒されることに直結してしまう恐怖の事態だからだ。

だからこそ女は、"正しい"男を"良い男"、"正しくない"男を"非モテ"と認知する。
その認知の頑強さは、"モテていた"男が"正しくない"ことをしたり、"モテない"側とされていた男がステータスの高い女と結婚した場合、認知的不協和を回避するために後付けの再定義が発動するほどだ。

だからこそ、女は"性欲由来の優しさ"を怒りとともに否定する。その行為の由来自体が、"悪しきもの"であるはずの"性欲"なのだが……

"優しさ"とは所詮……

所詮、男から女への特段の"優しさ"とは、一種の投資なのである。
女から見て"正しい"男はそれを「人として当然のことですよ」とカモフラージュするが、根底には「もしかしたらその結果としてセックスできるかもしれない/交際できるかもしれない/結婚できるかもしれない」という打算がある。もちろん、打算に基づく"優しさ"は投資であるがゆえに、無駄になっても仕方ないと考えるし、相手によって(女には気づかれない範囲で)"原資"を調節したりもする。
女が内心不快な相手にも優しさを発揮するのが、「優しくしないことで自分が加害されない」ためであることと根底は同じである。優しさとは、相応のリターンを期待して発揮するものだ。

女の言う"男からの有難迷惑な不快な優しさ"や逆上というのも結局は、カモフラージュや"原資"の調整が下手な男の投資が"有難迷惑な不快な優しさ"とされたり、「"優しさ"が投資である=丸損でも文句は言えない」ということを理解できていない男が、リターンが無かった際に逆上している、というだけのことである。本質的には"正しい"男からの"優しさ"と違いはない。

所詮そんなものである"優しさ"を、「社会性の証」のように扱ったり、果ては「子供や老人と同じように女にも優しくしろ」と要求するのは、女が道徳的優位性を意地でも占有し、"正しい存在"であり続けたいという"正欲"の爆発以外の何物でもない。
そもそも権利や機会が男女平等である現代日本社会において、"子供や老人"といういわゆる弱者と自分を同列にして"優しさ"を求めるというのがどういうことか、女本人は分かっているのだろうか?「女を一人前の成熟した人間として扱うな」という宣言に他ならないのだが……

ともあれ、今回の炎上は、女の「"正しい存在"でありたい」という"正欲"(+"負の性欲")の爆発によるものだ、という見解を述べた。
書いてみたらとんでもなく長くなってしまった本稿を最後まで読んでいただいた方に感謝して、本稿の終わりとしたい。

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