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【ショートストーリー】空の色は

小学1年生の時だったか。優しい女の先生だった。
「そらのいろは、なにいろかな?」
「あおー!」
20人の黄色い声がこだました。もちろんその中には僕もいた。
元来、真面目な性格だから。

野球部に入ってすぐに気づいた。

空は青くない。

むしろ白だ。
白い絵の具に水で溶いた水色を1滴だけ落とした。そんな色。
大嫌いな色だった。

高く上がったフライは否応なしにその空に飲み込まれ、落下地点を狂わせ、
チームメイトの落胆と、保護者の悲鳴に変わる。
大嫌いだった。野球が。

よく高校まで野球を続けていたと思う。
元来真面目な性格だから、野球バカのオヤジの期待を裏切りたくなかったし、裏切れなかった。

高校3年生、僕は副キャプテンになっていた。
小学校4年生からキャッチャーになっていた。
空に消えるボールを見る機会が減ったことは嬉しかった。
でも「副」だとしても役職がつくのは耐え難かった。それに見合うメンタルを僕は有していなかったから。

元来ある真面目さと正義感で「真面目キャラ」というキャラ付けがされた結果、チームメイトからは「キャプテンお前じゃね?」「狙ってるやろ?キャプテン。」などと言われることもあったがとんでもない。
「いや、ないない。」と濁しながら本気で勘弁してほしいと思った。
自分より野球を愛している選手は山ほどいる。
そんな中で自分が副キャプテンになることがたまらなく辛かった。

自分たちのひとつ上の先輩たちは春の甲子園大会に出場し、夏の大会では県大会で準優勝を飾った。
凄まじい快進撃で進学校である我が「日前高校」に奇跡をもたらした。
そしてOBや地域の方々から今年もと期待される。
ひどいプレッシャーだった。

僕も甲子園大会ではベンチ入りを果たした。
キャッチャーが少ない我が校のブルペンキャッチャーとして。
試合には出ず、ひたすらに先輩や同級生の球を捕球し続けた。

就職してからよく言われる。
「彼は元甲子園球児だから」という紹介はいつも気が引ける。
「いやいや、連れて行ってもらっただけですから・・・」と答える。
謙遜でもなんでもなく、本当にでそうだったから。


練習は真面目にしたし、自主練もしたし、うまくなろうと努力はした。
もちろんレギュラーを目指していた。
バッティングには自信があったし、肩も強かった。
でも致命的な欠点があった。

僕はリードができなかった。
キャッチャーとしてのリードが・・・

たくさん本も読んだし、自分なりに工夫をした。
バッターの立つ位置を見たり打撃フォームを見たり。
でも、自分の考え方と監督の考え方は全く違っていた。
監督に怒られるたびに、それが自分の表情や態度に出るようになっていた。

「ピッチャーが構えたところに投げてくれたら・・・」

責任をピッチャーになすりつけようとしている自分に気づいたとき、
僕はキャッチャーから外されていた。

日前高校は相変わらずキャッチャー不足だったので
サードを守っていたキャプテンがキャッチャーにコンバートされた。
申し訳なかった。
でも内心ホッとしている自分もいた。

僕はキャッチャーの練習をしながらファーストの練習をするようになった。
同期のファーストは「おう、がんばろら!」と励ましてくれた。
レギュラー争いのライバルになるかもしれないのにどうしてこんなに人に優しくできるんだろう・・・

ある日の練習試合で久しぶりに僕がマスクをかぶった。
ピッチャーはチームの2番手で、なかなか公式戦で投げることができていない、僕と同じ陽の目を見ない同期だった。

こいつとバッテリーを組むのはずっと好きだった。
けっして球は速くないが、サイド気味に振り出される右腕から、一瞬ボールが止まったように見えるスライダーが投げ込まれた。
危ない場面は何度もあったが、右バッターの外へ逃げる決め球のスライダーが面白いほど決まり、完封勝ちをした。

「ナイスピッチ!最高やな。」
「おうマイス、俺らベストコンビやな」
こいつはなぜか僕のことを「マイス」と呼ぶ。
照れくさかったが、本当に嬉しかった。こいつはまだ僕をキャッチャーと認めてくれていた。

試合後監督から「1試合お前に任してももう大丈夫やな」と言われた。
監督なりの励ましだったのだろうが、言葉にならない気持ち悪さでゾッとした。

正直に喜ぶことができなかった。

その日、帰ろうとしている時に同期のセカンドに呼び止められた。
「お前なんでそんなに怒ってんの?最近特に。」
「いや、怒ってないよ。なんで?」
「表情死んでるし。監督話してるとき鬼みたいな顔してるで。まあ、後輩も見てんねから気をつけろよ。」
そう言って、自転車で去っていった。

「後輩も見てるから・・・」
自分の胸にチクっと刺さった。


その日も練習が終わり、道具を片付けているとき、キャプテンに話しかけられた。
「お前、本気でファーストのレギュラー狙いにいけよ。いけるぞ。」
それだけだったが、キャプテンの背中が見えなくなると目から汗が溢れてきて、しばらく室内練習場から出られなかった。

嬉しかったのか、悔しかったのかわからなかった。
もしかするとその両方かもしれない。
ただわけもわからず、その場でたたずんでいた。

どうしてみんな、自分をこんなに気にかけてくれるのか。
こっちは自分自身のことでいっぱいいっぱいなのに。
口をパクパクさせて必死に酸素を吸おうとしているのに。
自分はそれに答えることができているのか。

自分だけが稚拙なプライドに踊らされながらエゴイスティックに自分の世界の中だけで野球をしているように感じた。


夏はすぐそこだった。

日前高校は初戦不戦勝で2回戦からの登場になった。
いい投手がいることで注目されている工西高校が初戦の相手だった。
結局僕はレギュラーになることはできなかった。でも終盤での代打起用にファーストの守備固めという役割をもらっていた。

序盤に1点を先取したが、6回に同点にされた。そのままゲームは流れ8回になった。僕は7回から三塁側のブルペン前でバットを振っていた。いつでも行く準備はできていた。
8回の表、監督から声がかかった。
「行くぞ。」
「はい。」

ノーアウトランナーなし。左バッターボックスに入った。
不思議と緊張はなかった。相手投手のメガネを掛けた顔がはっきりと見えた。
初球の外角低めのストレートをレフト側に弾いた。いい当たりだったが打った瞬間にファールだとわかった。レフト側のアルプススタンドがドッと沸いた。
自然と頬が緩んだ。嬉しかった。この場所に立てていることを誇りに思った。

見ているかセカンド。今ぼくは鬼の顔をしているか?死んだ顔をしているか?今の僕を見てくれ。

2ボール1ストライクになった。狙い所だ。
相手が足を上げるタイミングで自分も足を上げる。

インコース高めのストレートだった。いちばん苦手なところ。一度動き出したバットは止まらずそのまま振り切った。ややバットの根っこで当たった打球はライナーでレフト方向に飛んだ。

「落ちろ!」

ショートが背走し追いかける。レフトが前進してくる。

「落ちろー!」

ショートが伸ばしたグラブの上を打球が通り抜けた。一塁ベース上で小さくガッツポーズをした。

その後打線がつながり、2点を追加した。
3対1で初戦を突破した。

チームメイトの笑顔が印象的だった。
そして何より相手チームの泣き顔が印象的だった。

残酷な世界だと思った。
誰かの喜びが、誰かの夢の終わりを告げる。
スポーツの残酷な姿をそこに見た気がした。

浮かれている時間はなく、
二戦目はすぐにやってきた。
今回も僕はベンチスタートだった。

2回表、不振だった4番のホームランで先制した。
スタンドにもベンチにも割れるほどの歓声が起こった。
1点リードのまま8回裏になった。

相手チームの攻撃だった。フォアボールとヒットで1アウト1,2塁になった。勝っているのに重い空気が漂っていた。

打った瞬間にわかった。入る。
レフトスタンドに突き刺さった。
さっきとは反対のスタンドが大歓声に変わった。
こんなにうるさいのに、周囲の音を音として感じられなかった。
一瞬この世が音を失った。

エースが泣きながらベンチに戻ってきた。
「すまん。すまん。」と何度も誤りながら。
謝る必要などないのに、自分がその責任を全部負っているかのように謝っていた。
「まだ試合終わってないぞ。」
僕はそう言ってブルペンにバットを振りに出た。
エースに言ったそのセリフは、おそらくは自分自身を鼓舞するために使ったのだと思う。

3番がフォアボール、4番が三振、5番がレフトフライで2アウト1塁になった。
6番は唯一2年生で試合に出ているショートだ。その次が同期のファースト。僕が代打で出るならそのファーストの打順でだ。
なんとか出てくれ。祈りながらバットを振った。

キンッという軽快な音を残してセンターへ打球が運ばれた。
来た!僕の出番だ!

体が軽く、緊張もほとんどなかった。
小気味よい躍動と心拍数が自分に確信を与えていた。
打てる。

バッターボックスに向かおうとした。
ベンチの前を通り監督の顔を見た。
いつもなら僕を指差して
「行くぞ」と合図をする。その流れはもう慣れたものだった。
しかしコールはかからなかった。
不自然に僕と合わない監督の視線に、僕の全身から力が抜けていくのを感じた。

試合が終わった。
7番のファーストが三振をして僕たちの夏が終わった。
ベンチ裏の更衣室では日前高校の選手達の泣き声で埋め尽くされた。

エースが泣きながら「すまん」と僕に言った。
僕は「ナイスピッチだった」と返した。
エースが「3年間ありがとう」と言った。
その時僕の目からは涙が流れた。

大嫌いな野球が終わることの嬉しさの涙であってほしいと思ったが、そうではなかった。
チームメイトの優しさに、自分の不甲斐なさに、負けた悔しさに、、、
それらが渦になって走馬灯のように僕の頭を駆け巡った。
もっと打席に立ちたかった。もっとエースの球を受けたかった。2番手と公式戦でバッテリーを組みたかった。もっと盗塁を刺したかった。
もっともっともっともっと・・・



もっとこのメンバーで野球をしていたかった。



相手チームの喜びが、僕たちのチームに夏の終わりを告げていた。
こんなに大嫌いな野球が、こんなに素晴らしい仲間を与えてくれた。
こんなに素晴らしい経験を与えてくれた。
興奮を、悔しさを、怒りを、快感を、そして悲しみを。

それらに彩られ今僕は立っていた。

涙越しに見たその日の空は、
今までで一番濃い青色をしていた。



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