見出し画像

プロセスを抱きしめる

料理をするか、しないか。

YES or NOで言えば、“ YES ”だ。

というか、ほぼ実験だ。

パンも粉から手こねでまれに作るし、
できれば庭を持って大きなかまどと、
一年中なにかしらつめるハーブ園を作り
愛でていたいという野望を持っている。


そうは言えど、

私はさほど無農薬や国産にこだわる方ではなく。

むしろ無関心な方かもしれない。



この間、海外でパンの素を買ってきてくれた友人が
「なんと書いていあるのかわからないけどパンの絵が描いてあるからパン作ってよ。」

といってプレゼントしてくれた怪しい(そんなことわないw)
その粉を私も特に読解することもなくパンにした。

友人が悪の組織だったら私はすぐに死んでいるだろう。。。笑


もちろん

外で食べると言うアジアな感覚も大好き。

食べてコピーしてみるのも好き。
(できているかどうかはこの際置いておく。)

そもそも味音痴なわりにご飯の時間が大好きかもしれない。


縫ったりパターンを作成している時はあまり料理をしないが、
手を動かさないときはよく作る。


お菓子は、
まるで作れない。

分量が精密な物であればあるほど私は作れない。


料理って
感覚と気分でほとんどできませんか??

私はそう思うのです。



この間
スパイスを砕く作業からはじまるカレーを作ってみた。

ひと粒ひと粒の主張と香りが
混ざり合ってガラムマサラとなってゆく。

スパイスひと粒ひと粒を
指の腹で感じて

香りを味わう。


アナログな料理も時短料理もショートカット料理ジャンクフードも
私は博愛的に思うけれども

可愛らしい小さな単位から
段階を経て作るプロセスには

五感で感じる多くの出会いがあったりする。

ゆっくりゆっくり感じることは
自分の中心に戻る行為にもなってゆく。




そういえば

同じ釜の飯を食う。

という言葉は私は嫌いじゃない。





この時は打合せと言いながら、
ほとんど時間は料理に費やした。


自分の中心を見つめだすと同時に、
他人が入る隙間も料理は作り出す。

不思議な時間だ。



決して料理は上手な方ではないし
料理人になる気もないけれど
たまには作っていたいと思う。

プロセスを抱きしめて。

#食べる #料理

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?