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喜入祥充(サントリーサンバーズ)が掲げる理想のリベロ像「目立たない存在を目指したい」

OSAKA SPORTS GROOVEでは、大阪市内に拠点を置く8チームならではのインタビュー記事をお届けします。『大阪からスポーツを語る』では、地元・大阪でプレーする各チームの選手に、これまでのキャリアについて、グラフを用いながら当時の感情や思いを振り返っていただきます。

今回登場するのは、サントリーサンバーズの喜入祥充(きいれ・よしみつ)選手です。身長174cmと現役Vリーガーの中では比較的小柄ながら、最高到達点337cmという驚異の跳躍力を誇り、高校時代から名スパイカーとして名を馳せた喜入選手。2018年のサンバーズ入団後はリベロに転向、現在プロ6年目のシーズンを迎えています。

喜入選手の競技人生の軌跡をたどりながら、これまでのバレーボール人生を振り返りつつ、サンバーズへの思いや現在の課題、今後の目標を伺いました。

大好きなバレーを続けるために、奔走した少年時代

ーまずはじめに、喜入選手の経歴について教えてください。

バレーボールを始めたのは小3の時です。当時からとにかく楽しくて楽しくて、今振り返っても本当にバレーが大好きな小学生でした。

中学に上がってからも続けるんだろうなと思っていたのですが、自分が入学する中学校にはバレー部がありませんでした。入学前から分かっていたことですし、仕方がないと半ば諦めていましたが、自分が入学するならと、ある先生がバレーボール部を立ち上げてくれたんです。

とはいえ、バレーボールは1人でできるスポーツではありません。自分以外に新しいメンバーが入らなければ廃部です。まずは部員集めからスタートしました。結果的に、3年生2人、2年生1人と新たに3人が集まりましたが、その内の1人がすぐに転校してしまい、あっという間にバレーボール部は3人に(笑)。

でも、どうしてもバレーボールがしたくて、体育会系の部活に所属している人たちに声を掛けるなど地道に勧誘活動を継続し、最終的に11人のメンバーが集まりました。そこから人数は少し減りましたが、バレー部はなんとか存続できたんです。強豪校とはほど遠いチームでしたが、人数の少なさが幸いして試合に出続けることができ、バレー好きの自分にとっては良い環境だったと思います。

ー そこから、グラフでは一度目の谷が来ていますが何かあったのでしょうか?

中1の時にヘルニアになったんです。最初に怪しいと感じたのは試合中でしたが、その試合に勝ったことで翌日も試合になり……。大事を取って休むべきと思いつつも、当時のチーム状況的に欠場という選択肢はなく、痛みを我慢して出場しました。

なんとかその試合にも勝つことはできましたが、終わった瞬間に椅子に座ったが最後、そこから全く動けず。さすがに「大変なことになった」と思いましたね。病院で診てもらった結果、ヘルニアと診断されました。

この先ずっとバレーボールができないんじゃないか、ってくらいの症状で、中学生ながらに将来をかなり悲観していました。それでここはガクンと下がっています(笑)。

ーそして、そこからまた少しずつ上がっていきます。

ヘルニアと診断されて落ち込みはしましたが、その後はコルセットの装着でプレーができるようになり、心身ともに回復しました。右肩上がりになっているのはチームが強くなっていったことも大きいです。

自分以外の全員が中学からバレーボールを始めたメンバーでしたが、最後の大阪大会で優勝、近畿大会で準優勝と、チームとして成績を残せるようになりました。

長年悩まされた膝の怪我と、人生初の全国大会優勝

ーその後、バレー強豪校・大阪府立大塚高校に進学されます。高校時代はいかがでしたか?

高校時代は、国体、春高バレー、インターハイ、そして再び国体と、4大会連続で準優勝という成績を残すことができました。実際、本当に強いチームでしたし、試合をしていても負ける気はしなかったです。何が起きても「自分たちなら大丈夫」という自信がありました。

ー高校時代は怪我なく順調に過ごされたのでしょうか?

途中までは問題なかったのですが、高3の春高バレーの大阪予選、最後の1点を取った時に膝を怪我してしまいました。試合終了までは動けたものの、その後に行なわれた祝勝会で膝が伸びないことに気付き、これはマズいなと。以降、痛み止めの注射を打ちながら試合に出場するも、最後の春高バレーはベスト8敗退に終わりました。

ー大学入学以降、膝の調子はいかがでしたか?

一時的に回復しましたが大学3年時に再び膝の痛みが再発、その年の春季リーグ戦には全く出場できませんでした。当時はバレーボールをするどころか、歩くのさえ困難な状態。日常生活にも支障をきたしてしまって、「これはもうダメかもしれない」とさすがに凹みました。長年スパイカーとしてプレーしてきたツケが回ってきたな……と。ただその後、治療を受けて少しずつ回復し、全日本インカレには間に合いました。

ー翌年の全日本インカレでは、優勝を経験されましたね。

この時、僕のバレーボール人生で初めて日本一になりました。これまで準優勝は何度か経験しましたが、優勝は初めてだったので嬉しかったです。

ーサンバーズ入団後のお話もお聞かせください。

2018年にサンバーズに入団してから、Vリーグ2連覇やアジアクラブ選手権優勝など、チームはさまざまなタイトルを獲得しました。所属チームの勝利はもちろん嬉しいですし、活躍してくれるメンバーの存在は頼もしいしありがたいなと思います。

一方で、自分が試合に出て直接勝利に貢献したいという気持ちもあります。アスリートは試合に出てナンボですし、結果を残すことが大事。嬉しい反面、悔しさもあって、複雑な気持ちを抱えながら歯を食いしばってここまでやってきたという感じですね。

ーサンバーズ入団を機にリベロへ転向されましたが、ポジションが変わったことで考え方に変化はありましたか?

まず、リベロが想像よりも難しいポジションだということを、やってみて改めて実感しました。点を取ることができないので、スパイカー時代のように自分のミスを取り返すことができず、ミスをした後にメンタルを保つのが大変でした。

ーミスをしてしまった後は、どのようにメンタルを保つようにしていますか?

気持ちを切り替えて、立ち直っているように見せます。と言いつつも、ミスをした後は大抵顔が引きつっているので、周りから見たら全然立ち直っているようには見えてないと思います(笑)。次のプレーに影響が出ないように、やってしまったミスについては考えないようにしていますが「次はこうしなきゃ」と、どうしても考えてしまう部分はありますね。

ー 現在、課題に感じていることはありますか?

今の課題はサーブレシーブ。個人的にはそこが重要だと思っています。というのもレシーブが安定していれば、サイドアウト(※)の確率が高くなりますし、極論ですがサイドアウトを100%取ることができれば試合には負けません。チーム全員で安定したレシーブができるようにしたいです。
※サイドアウト:レシーブ側のチームが得点すること。

「そこに打ちたくない」と思われる、目立たないリベロになる

ー今年はネーションズリーグでの日本代表の快進撃も話題になりました。近年のバレーボール日本代表の活躍を見ていて感じることはありますか?

昔に比べてレベルが上がってますよね。海外のトップ選手が所属するチームも増えていますし、日本の男子バレーは確実に世界との距離が縮まっていると思います。

以前は海外の選手と試合をする際、相手に食らいついてやろうというチャレンジャー精神で戦っていましたが、今は気持ちの面で対等です。全員が緊張することなくベストパフォーマンスを発揮していますし、見ていても彼らが負けるとは思いません。その上、試合も面白い。近年は会場を沸かせたり魅せたりするプレーも多く、特に髙橋(藍)くんは素晴らしいですよね。

バレーボールは「流れ」のあるスポーツですから、観客を魅了して会場を一つにできれば、自分たちの時間を作ることができます。言葉にすると簡単に聞こえてしまうかもしれませんが、大舞台で強豪国を相手に躊躇なくプレーできるのは、本当にすごいことだと思います。

ーサンバーズ入団後、最も印象に残っているのはどの試合ですか?

優勝した時の試合ですね。勝つためには何が必要かを各選手が考え、全員が今出せるパフォーマンスを最大限に発揮できていたと思います。

ー サンバーズの好きなところを教えていただけますか?

仲の良さは、他のチームに負けていないと思います。プライベートでも家族ぐるみでお付き合いさせてもらっています。

ー 最後に、今後の目標についてお聞かせください。

チームとしての目標はVリーグ優勝と、12月の世界クラブ選手権で結果を残すことです。昨シーズンは3連覇を果たすことができなかったので、来シーズンは気持ちを新たにチャレンジャーとしてリーグに臨みたいです。

個人的には、試合に出てチームに貢献したいですね。相手チームに「そこに打ちたくない」と思われるようなリベロになって、試合中に目立たない存在になることを目指したいと思います。

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