広報、マネージャー、スカウト...5つの業務を渡り歩いた吉田直喜が語る球団スタッフの仕事
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広報、マネージャー、スカウト...5つの業務を渡り歩いた吉田直喜が語る球団スタッフの仕事

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<トップ画像:©︎2021 MAISHIMA PROJECT>

現在オリックス・バファローズの事業運営部 コミュニティグループ課長兼ファーム事業グループ課長 吉田直喜さんは、オリックス・ブレーブス時代にドラフト2位で入団した元選手です。

長崎県の佐世保実業高等学校で二度の甲子園出場を果たし、青山学院大学では1年生の時から活躍。1989年の入団から7年間オリックスでプレーしたのち、戦力外通告を受けて引退されました。その後は球団にスタッフとして残り、広報、一・二軍マネージャー、スコアラー、国内外の外国人選手のスカウトなどの業務に携わり、現在は舞洲プロジェクトなど事業運営部の業務へと幅広く球団の仕事に関わられています。

多岐にわたる業務体験について、当時のエピソードをお伺いしました。


いきなり、「バッティングピッチャー兼広報」。取材対応に追われる日々

1989年の入団から7年間オリックスでプレーしたあと、30歳で戦力外通告を受けました。その際、球団側から「球団スタッフとして仕事をしないか」と声をかけてもらったのが職員になったきっかけです。

怪我での引退ではなかったので、現役を続ける選択肢もありました。でも30歳を過ぎて他球団でも結果が出なかったら、そこに費やす数年間が無駄になる気がして。せっかくお話をいただけていたので、引退を決意し、球団職員になりました。

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引退した翌年から、バッティングピッチャー兼広報として業務に就くことになりました。初めは広報がどういった仕事をするのかすら、わかっていませんでしたから大変でしたね。

仕事内容はマスコミの取材対応と、試合で活躍した選手のコメントを記者に伝えることです。当時は取材依頼をファックスで受け、練習後に整理し打ち合わせの調整を行なっていました。選手のコメントも、手書きのものを記者席に持っていっていましたので、今思えば現在の通信環境がうらやましいですよね!。

これらの作業を3~4人で回す一方、特にキャンプでは日々カメラマンやファンの方々が選手を追いかけていたので、その対応もする必要がありました。

ちょうど日本一になった翌年だったので、春季キャンプの取材はとても多かったです。その頃は新聞でもテレビでも、野球は比較的大きく取り上げられていたように感じます。

広報の仕事は、7年間やりました。最後の年はイチロー選手の担当で、ちょうどメジャーリーグへの移籍も決まりかなりの取材依頼が来て、とても忙しかったのを覚えています。


印象深いイチロー選手との思い出話

イチロー選手の担当をしていて、野球に対する意識が本当に高いと感じました。当たり前のように、朝起きて顔を洗って歯を磨くようにルーティンとして毎日練習を続けるなど、オフでも、取材で忙しい時でも、休むことはなかったですね。会食の予定があったとしても、時間をずらしてその前後で練習をしていました。

食へのこだわりもすごかったですね。毎日同じものを食べても平気な人で、アメリカでは毎日カレーを食べていたと聞いたことがありますが、「毎日なんて嘘だ」と思うかもしれませんが、私はイチロー選手だったら本当に毎日食べるだろうなと思っていました(笑)。

他にも、ピラフの野菜はみじん切り、焼肉は一枚ずつ食べる分だけ焼いて食べる、など。「野球が上手くなるためには」と同じように、「美味しく食べるには」と常に考えていたように思います。

チームマネージャーから、先乗りスコアラーへ

広報の後は、2軍のマネージャーを3年間経験しました。こちらもまた大変な仕事で、ツアーコンダクターと野球の雑務を足して2で割ったイメージです(笑)。移動手段の手配や部屋割り決めといった遠征に関わる業務、ファン対応、1軍に上がる選手の手配などに携わっていました。

ある時1軍のマネージャーが病気になってしまい、急きょ代わりを務めることに。そのまま3年間担当し、また4年間広報の仕事に戻って。広報の後は先乗りスコアラーの仕事を5年間やりました。

スコアラーには、「チーム付き」と「先乗り」の二種類があります。先乗りスコアラーは、試合の1週間前から次の対戦相手の情報収集をして、相手選手の状態を分析してレポートを書く仕事です。チームの成績に大きく影響を与えるとは思っていませんが、少しでも選手成績に繋がるヒントになったらいいなと思って仕事をしていましたね。

(補足:チーム付きスコアラーとは、先乗りスコアラーが持ってきた分析内容を元にミーティングを行ない、具体的な対策を練る役割を果たしています。)

試合中にメモをとって、後で映像を確認しながら対戦するピッチャーの球種やコースを改めて分析します。選手の状態を加味しつつ、どう戦うべきかをまとめていました。

見ていてすごいと感じたピッチャーは、当時西武ライオンズにいた岸孝之投手(現在楽天イーグルス)ですね。ストレートの軌道が良く制球力が持ち味で、カーブを武器にしていました。若手で活躍中の森下暢仁投手(広島カープ)が、全盛期の岸投手を彷彿とさせるようなカーブを投げていると思いながら見ています。

バッターでいうと日本ハムファイターズの近藤健介選手。分析していてどう抑えようか困る選手でした。バットに当てるのが上手く、選球眼も良かったです。毎年首位打者を取りそうな選手だと感じていました。

海外の外国人選手のスカウトも経験

スコアラーの後は国際渉外部に異動となり国内外の外国人選手のスカウト担当に。アメリカにいる駐米スカウトとともに、リストアップした外国人選手の状態をチェックしレポートを作成していました。1年間で4~5回ほど、キャンプや公式戦を見るために海外へ行っていましたね。

日本の野球に対する対応力も基準のひとつでした。制球力とクイックでの投球能力がなければ、日本では通用しないと思っています。他にもベンチに帰った時の仕草や態度など、細かいところまで見ていました。

アメリカは契約社会で、個々の選手の契約内容やMLBのFA制度など複雑なルールがあり、欲しい選手がいてもオファーを出すタイミングなどで、獲得できるできないこともあります。また、良い選手だと思って獲得した選手が必ず良い成績を収めるとも限りませんし、2年間だけでしたが凄く難しい仕事だと感じました。

舞洲を、プロスポーツチームとの協業の窓口に

舞洲には、二軍の専用球場や選手寮(青濤館)があり、二軍の試合運営の業務もありシーズン中の仕事場となっています。そんな中、舞洲プロジェクトには、今年から関わらせていただいています。

野球の現場の仕事はすごく小さな世界だと思うんです。これまで異業種の外部の方々と関わることは少なかったのですが、他競技のチームスタッフの方や行政の方と関わることが増えたのでとても新鮮です。

舞洲の魅力は、プロスポーツの3球団があること。うまく周りの企業さんと協力しあいながら、舞洲ならではのことがやっていけたらいいなと。

プロスポーツ球団と聞くと敷居が高いと感じられる企業さんも少なくないと思うんです。舞洲プロジェクトを通じてきっかけを作り、企業とプロスポーツが協業できる窓口を作っていけたら嬉しいですね。

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