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名門FCソウル出身GKヤン・ハンビンがセレッソ大阪を選んだ理由。「日本に来たのは正解だった」

<トップ写真:©︎2024 OSAKA SPORTS GROOVE>


OSAKA SPORTS GROOVEでは、大阪市内に拠点を置く8チームならではのインタビュー記事をお届けします。『大阪からスポーツを語る』では、地元・大阪でプレーする各チームの選手に、これまでのキャリアについて、グラフを用いながら当時の感情や思いを振り返っていただきます。

今回登場するのは、セレッソ大阪のヤン・ハンビン選手です。昨年、Kリーグの名門FCソウルから完全移籍を果たし、加入1年目は13試合に出場。チーム内でのポジションを着実に築き上げています。

ハンビン選手のサッカー人生を振り返るとともに、Jリーグへの挑戦を決めた背景や、同じく韓国出身でセレッソ不動の守護神キム・ジンヒョン選手との関係性についてもお話を伺いました。

(取材・文:小田尚史)

ハンビン選手に書いていただいたグラフ

転校でチーム退団、サッカーを辞めることも考えた

─サッカーを始めたきっかけは?

小学5年生から始めました。ちょうど日韓W杯が開催されていた2002年です。10歳ごろからサッカーに興味はあったのですが、実際にプレーをする機会はなく、近所のサッカー少年団から声をかけてもらったのをきっかけに、サッカーを始めました。最初の2ヶ月くらいはフィールドプレーヤーでした(笑)。

─GKになったきっかけは?

その少年団には正式なGKがおらず、選手たちが交替でゴールを守っていたため、試合では負けが続いていました。そうした中で、遊びでGKをやった時に手応えを感じていたこともあり、自分から監督に「GKやります」と申し出たんです。最初から自信もあったので、どんどんGKとして成長できました。サッカーも楽しくやれていたので、この時期はグラフも右肩上がりになっています。

─しかしその後、グラフが最も下がっています。この時期は何があったのでしょうか?

中学から浦項スティーラーズのアカデミーに入りました。全てが順調のように思えていたのですが、突然の転校でチームを退団することに…。これは僕の人生の中で最も大きな出来事でした。自分としてはサッカーを辞めるか真剣に悩んだのですが、父と話し合った結果、続けることを決めました。

─ここからまたグッと上がっていきます。この時期については?

高校時代はサッカーに打ち込むしかない環境に身を置いたので「やるしかない」という思いが芽生えて、一気に成長できました。自信も付いて、「僕に勝てるGKはいない」と思えたほどです(笑)。過酷なトレーニングのおかげで大会でも優勝できました。プロになってまだ優勝したことがないので、自分のキャリアの中で、この時期が一番、高い数値になっています(笑)。(注:2016年にFCソウルでKリーグ優勝を経験しているが、自身はレギュラーではなかった)

─プロサッカー選手を目指すようになったのはいつ頃からですか?

高校1年生でプロになれると思っていました。多くの卒業生がプロサッカー選手になっていたので、必然的に自分も同じ道を目指しました。

─プロ入り後はグラフが下がっていますね。

自信を持ってプロの世界に入ったのですが、想像以上にレベルが高く、なかなか試合に出られませんでした。なので、グラフは右肩下がり。さらに、プロ4年目に大きなケガもしたので、プロになってからはここが底ですね。

─そこからは上がっていきます。

プロ5年目でFCソウルに加入しましたが、すぐにトップチームに上がれたわけではありません。最初は2軍でプレーしていました。ただ、チャンスが巡ってくれば結果を出せる自信はありましたし、その時のために準備をしていました。そして加入4年目の2017年、ファン・ソンホン監督にチャンスをもらい、試合に出場。緊張もあったのですが、十分な準備のおかげで、良い結果を出せました。そこからは2019年を除き、試合に出続けることができたので、グラフは常に右肩上がりです。

憧れのJリーグでプレー。日本に来たことは正しかった

─FCソウルで順調にキャリアを積まれていた中で、Jリーグ(セレッソ大阪)への移籍を決めた理由は?

小さい頃からJリーグでプレーすることを目標にしていました。実際、韓国からJリーグに行く選手も多く、いつかは自分も、という思いがあったんです。そして昨年、ありがたいことにJリーグの舞台でプレーする機会をいただきましたが、振り返っても、自分の選択は正しかったと思います。日本に来て良かったです。

─実際に日本に来られてどのような印象を持ちましたか?

ブラジルや欧州から来た選手は文化の違いに戸惑うかも知れませんが、韓国と日本は大きな違いはないと感じています。生活面では多少、慣れるのに時間もかかりましたが、皆さん親切ですし、特に困ることはありません。ただ、Wi-Fiが韓国より少し遅い気がします(笑)。

─大阪の居心地はいかがでしょう?

治安もいいですし、食べ物も困りません。不便に感じることなく過ごせています。何より家族と一緒なので、安心です。子どもがまだ小さいので大変なこともありますが、奥さんも大阪での生活に慣れてきています。

─本場の韓国料理が恋しくなることはありませんか?

特に韓国料理が恋しくなることはないですね。その理由の一つに、僕はキムチが苦手なので(笑)。

─そうなんですね(笑)。チームの印象はいかがでしたか?

最初に来た時から温かいチームという印象を受けました。成績は波もありましたが、方向性がブレることはなかったと思います。全員が同じ目標に向かっていた印象です。

─チームメートとのコミュニケーションについては?

100%完全に取れているかと言えばそうではありませんが、サッカー選手として通じる部分はあるので、そこまで困ることはないです。今年は2年目なので、もっと日本語を頑張って覚えて、コミュニケーションを取っていきたいと思っています。昨年は、リスニングは上達した実感はありますが、話すことについては不十分だったように思います。今年は積極的に話していきたいです。まだ少し恥ずかしいですが(笑)。

ポジションを争うキム・ジンヒョン選手との関係性

─サッカーのスタイルで、JリーグとKリーグとの違いはありますか?

GKから見れば、Kリーグの選手は、少しでもチャンスがあれば積極的にシュートを打ってきます。その分、GKにも見せ場は多いのですが、日本は緻密に崩してシュートを打つスタイルが多いので、セーブ機会は少ない印象です。そうした違いはあると思います。

─とは言え、印象的なセーブも多かったです。1年目としては申し分ないプレーをしていたと思いますが、昨年の自身のプレーを振り返ると?

チームが望むGK像があると思います。それを考えると、不足していた部分があったことは否めません。セーブでも、もっとこうすれば防げた、というシーンもありました。今年、試合に出る機会があれば、1点でも多く防ぎたいです。

─キム・ジンヒョン選手とのレギュラー争いも激しかったですが、彼との関係性については?

遠すぎず、近すぎず、いい関係を築きながら、日々の練習に打ち込めていると思います。

─年齢はジンヒョン選手が少し上ですが、いいライバルであり、仲間という感じですか?

サッカーをしている以上、競争はあります。自分も100%で練習に打ち込んでベストな状態を維持していますが、ジンヒョン選手も100%で準備して、素晴らしいパフォーマンスを見せています。お互いに切磋琢磨できていると思いますし、最終的に誰を起用するかは監督の判断なので、自分は選手としてやるべきことをやるだけです。


─昨年ご自身が出場された試合で、最も印象に残っている試合と、その理由は?

ホームの(ヴィッセル)神戸戦です。勝った試合はどれも嬉しいですが、リーグ戦で初めて先発で出た試合ですし、昨年優勝したチームに勝てたので、一番印象深いです。

─加入2年目の今季、改めてどのようなプレーを見せたいですか?

昨年1年間、Jリーグでプレーした経験を生かして、もっと積極的にコミュニケーションを取っていきたいです。試合に出たら失点しないことを意識して、チームを勝たせる仕事をしたいです。

─ヨドコウ桜スタジアムはGKの位置からゴール裏も近いです。すぐそばにサポーターがいますが、彼らの存在は?

昨年、自分のチャントが聞こえてきた時は、力が湧いてきました。今年もサポーターの応援を聞きながら試合に出られるように、タイキャンプからいい準備をしていきたいです。

─最後に、個人として、チームとして、今季の目標をお願いします。

チームとしては、もちろんリーグ優勝です。いい雰囲気を持って戦い続ければ、実現できると思います。個人の目標に関しては、チームが優勝を目指す以上、自分もその目標に貢献できるようにプレーするだけです。



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