セレッソ一筋14年。キム・ジンヒョンが語る“大阪愛”。「舞洲に移って、よりサッカーが楽しくなった」
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セレッソ一筋14年。キム・ジンヒョンが語る“大阪愛”。「舞洲に移って、よりサッカーが楽しくなった」

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「舞洲Voice」では、3つのプロチームが拠点を置く舞洲ならではのインタビュー記事をお届け。「#舞洲での思い出」と題し、舞洲で長くプレー経験のある選手にお話を伺います。

今回登場するのは、セレッソ大阪の元韓国代表GKキム・ジンヒョン選手です。東国大学校(韓国)卒業後の2009年に来日して以来、今シーズンでセレッソ一筋14年目。J1リーグ戦通算327試合出場を果たし、外国籍選手におけるJ1最多出場記録更新が目前に迫るなど、主力として活躍を続けています。

誰もが認めるセレッソ大阪の顔となったキム・ジンヒョン選手に、舞洲での思い出のほか、来日当初のエピソードやチームへの思いを伺いました。

(取材・文:小田尚史)

「日本語ができるようになると、生活が楽しくなりました」


セレッソに初めて来たのは大学3年生の11月。5日間練習に参加して、強化部の方から「来てほしい」と言っていただき、加入が決まりました。それまで、日本でプレーするとは全く考えておらず、5日間で決まるんだ、と(笑)。細かい話は聞いていないのですが、クルピ監督(当時)に認めてもらったのだと思います。代理人からも、「Jリーグはいい環境。ステップアップできる」と言ってもらい、チャレンジしたい気持ちになりました。

日本での生活には、不安しかなかったです。一人で日本へ向かい、空港を出たところから、韓国とは空気感が違う。文字も読めず、言葉も全く分からない。アン・ホジンさんという通訳がいたのですが、アンさんがいなかったらと思うと……(苦笑)。

入団当初はほとんど寮から出ず、自転車で寮と練習場を往復する生活を3ヶ月くらい続けていました。日本に来た頃はサッカーのことしか考えていなかったですし、言葉を覚えるのに必死で、余裕はなかったです。

最初は一人で日本語を勉強していたのですが、4ヶ月後に家庭教師をつけてもらいました。難波のカフェで待ち合わせをして、初めて街中に出たのですが、寮(周辺)との環境の差が大きかったです。とにかく人が多いし、観光で来ている外国人も多い。家庭教師の先生は厳しくて、カフェや食事に行っても「注文は自分でして下さい」と言われたのを覚えています(笑)。自分でひと通りできるようになり始めてから、生活が楽しくなっていきました。

先生は、無料でレッスンをしてくれていたんです。そのかわり、夜ご飯は自分がご馳走する形で。いろんなカフェやご飯屋さんに行ったので、言葉を覚えながら、大阪の色んな場所も知ることができました。先生には、いろいろ助けてもらいました。

家庭教師をつけてから3ヶ月くらいで、日本語をほぼ聞き取れるようになりました。話すのは少し難しかったですが、先生からも「使っていかないと覚えられない」と言われたので、覚えた言葉はどんどん使うようにして、慣れていきました。日本語を覚えてからは、生活がだいぶ楽になりました。言葉ひとつでこれだけ生活が変わるのかと(笑)。幸せに過ごせるようになりましたね。この先生でなければ、ここまで早く日本語を覚えることはできなかったと思うので、感謝しています。

加入初年度から正GKとして試合出場を重ねた

セレッソで、新たなことを成し遂げたい


寮生活の間は難波や心斎橋によく行っていました。最初に大阪で覚えた場所がそのあたりなので、今でもそこに行くと、日本に来た頃を思い出します。ただ、よく停めていた駐車場が今は無くなっていて。最近はあまり行っていないのですが、だいぶ昔と比べて変わりました。

子どもの関係もあり、今は家から近い梅田へよく行くようになりました。難波や心斎橋とは違う雰囲気ですね。自分の印象ですが、梅田の方が落ち着いている感じがします。

大阪は住みやすいですし、今は大阪から離れたら、落ち着かないほどです(笑)。韓国に帰ったら、「自分の国に帰ってきた」という気持ちはあるのですが、落ち着かないんです。人と会わないといけないですし、バタバタしますね(苦笑)。韓国より日本の方が落ち着くし、便利です。

日本に来てもう14年。あっという間に過ぎましたね。

途中、環境を変えたいと思ったこともあります。でも、ある時期からセレッソで新しいことを成し遂げたい気持ちがハッキリと出てきました。Jリーグの外国籍選手として新しい記録を作りたい思いもあります。

チームがなかったら自分もないですし、記録を作れるのもチームのおかげ。まず第一にチームに感謝したいです。監督、チームメート、スタッフ、自分をリスペクトしてくれた人たちにも感謝の気持ちしかないですね。

コロナ禍前は、多くのファンが練習場に来て、プレゼントやお土産を渡してくれました。サッカー選手としてだけではなく、人として感謝しています。サッカーもそうですが、スポーツは応援してくれる人がいないと面白くないですし、それが当たり前ではないので、もっと感謝の気持ちを伝えていかないといけないと思っています。

セレッソでの新記録樹立に向け意気込む

舞洲はサッカーに徹底して集中できる環境


2013年に舞洲へ練習場が移り、環境はとても良くなりました。津守でやっていたとき、環境について考える余裕はなかったです。サッカーができれば良かった。舞洲に移ってからは、さらにサッカーを楽しくできる環境になりました。津守はロッカールームが狭かったのですが、舞洲の選手ロッカーは全員が見えるので、声も掛けやすい。チームメイトと話すことも多くなりました。

津守では、シャワーを4、5人が使えば満員でしたし、風呂もなかったんです。水風呂も、交代浴もできなかった。当時はそんなに考えていませんでしたが、サッカー選手として自己管理するために入浴は大事なこと。筋トレルームは、津守もある程度そろっていましたが、舞洲はさらに充実しています。津守も不便なことはなかったですが、舞洲に移って、何も言い訳できない環境になりました。よりサッカーに集中できる環境になりました。

舞洲への練習場移転当時を知る貴重な選手。写真はヤンマーグラウンド(舞洲)にて


舞洲がどんな場所かと聞かれれば、海と島ですね(笑)。ひたすら練習しかしていません。クラブハウスに来て、体を温めて準備して、練習して、終わったら筋トレして帰るという毎日です。

私がクラブハウスに早く来て、遅く帰る習慣があるのは、メンタルが弱いと感じているからです。そうしないと、試合でうまくプレーできないという思いがあるので。プロサッカー選手になれたことを幸せに思わないといけないですし、プロとしての責任は果たしていかないといけないと思っています。

クラブハウス以外では、舞洲食堂にも行きますよ。あと、練習グラウンドの裏には公園もあるので、子どもを連れて、家族で行ったこともあります。チームでバーベキューをしたこともありますね。

正直、自分のことで精一杯なので、他のスポーツのことを気にかける余裕はありません。ただ、昔バスケットボールをやっていたことがあり、好きなので、試合を見に行きたいです。アマチュアレベルなら、結構自信はあります(笑)。

大阪エヴェッサの選手との対決や対談などの企画もぜひやりたいです。プロの選手には負けると思いますけどね(笑)。いつか、ぜひ楽しみにしています!


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【大阪エヴェッサ、オリックス・バファローズ、セレッソ大阪】のプロ3チームの活動拠点となっている大阪舞洲エリア。大阪市と共に、スポーツで大阪を盛り上げたい!舞洲だから実現するスポーツコンテンツをお届けしていきます!