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スポーツを生身の人間にやって欲しくない話

久々にオリンピックを見ているけど、スポーツを見るのって本当にめんどくさいと思う。


「ルールを覚えないといけない」「時間が長い」とかではなくて、毎回きちんと勝ち負けがあるのが面倒くさい

当たり前だけどスポーツはだいたい勝ち負けがあるので、負けもあれば勝ちもある。よく勝つチームもいるし、なにをやってもずっと負けてるチームもある。


なんかもう、そのすべてがめんどくさい。


どうせなら好きなチームに勝って欲しいとは思うけど、別に勝つところが見たくて観戦してるわけではない。好きなチームがいいプレーして「おー!すげー!」となる一瞬が好きで見ているだけなのだ。

勝つ方が選手が嬉しそうなのでいいなと思うけど、選手が「負けたけど楽しかったです!(ドドーン)」みたいな顔をしていたら、別に負けでも全然いいと思っている。妙に「応援してくださったファンに申し訳ないです…」とか言いながらポロッと泣いたりしないで欲しい。マジで元気にプレーしてくれてたらそれでいいです



とはいえ、根本的に「スポーツで負けて楽しいわけがない」という考えもある。それはそうだけど、スポーツは勝ち」が正義すぎるとも思う
程度はあれどもスポーツにおいては勝ちは正解、負けは間違いでしかない。スポーツなんてだいたい遊びから生まれているし「体を動かしてみんなと遊ぶのたーのしー!!」がすべての原点のはずだろう。それにいつの間にか勝ち負けがつき、勝たないと楽しくないになり、負けると怒られるようになった。
負けて悔しいのは当然だけど、「プレーする&プレー見る」だけでスポーツは十分楽しかったはずだ。


なんでもかんでもマスコミのせいにするのは好きではないが、マスコミのアオリに疲れているというのもある。
テレビをつければ毎度毎度「歴史を変える負けられない戦いへ、すべてをかけた選手たちが挑みます!」みたいなロマン主義文学みたいな大げさなアナウンスが入れられる。
革命が始まるわけでもあるまいし、「スポーツ大好き選手たちが、いまから楽しくゆかいにプレー!!」みたいなアナウンスではダメなんでしょうか? このあたりぜひ再考をお願いします。


突き詰めていうなら、私はスポーツをサーカスだと思っているのかもしれない。ハラハラドキドキ、成功したら「あの人すごいね!」、失敗しても「安全だから大丈夫だね!」。そんな感じの安全なファンタジーとして見たいと思っている気がする

教室でみんなちがってみんないいと言われ続け、十人十色の音楽や映画にふれ続け、かんたんに勝ち負けがはっきりするスポーツの楽しみ方を忘れてしまった。たぶんだけれど「運動神経バツグンのスタープレーヤーによる勝ち負けがまったくない試合」とかあったらかなり見ると思う(それがサーカスなのかもしれない)。サーカスみたいに「失敗しても大丈夫!」「すべては計算されたファンタジー!」と思いたい。人生かけた試合に負けて、空をあおいでボロボロ泣く選手なんか見たくないよ。スポーツはあまりにもリアル臭くてめんどくさい。生身の人間、スポーツするには重すぎます。

読んでいただき、ありがとうございます!