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予定がないという圧迫感

妙な圧迫感がある。ほぼ外出をしないということもその理由の一つなのだろうが、もう一つはおそらく、予定が全くない状態、ということに理由がある気がしている。

毎日の生活は、朝起きて仕事して子供を迎えに行っておやつ食べさせて宿題させてご飯食べさせて寝かせる。みたいな大まかな流れがある。

本当に、私たちの生活は「予定」という近未来の出来事によって支えられていたのだなと痛感する。

それ以外の日も、今週末はお客さんが来て、来週末は友人たちとピクニック行って。それからそうだ、来月のイースターのお休みには南仏の方に友人家族と行こう。

そんな些細な予定やバカンスの予定が全てなくなった。

昔、住まいがないということ、そもそも住む/暮らすということは何かという研究をちょろっとしていた。その時に、例えばホームレスたちには、そもそも仕事という生活に枠組みを与えるものがないのだがそれでもやはり生活にある程度のリズムを与えることが必要で、毎日図書館に通ったりするのだという話を聞いたことがあった。

今ならそれが前よりももっと理解できる気がする。

まだたったの5日しか経っていないのに、時間の感覚が少しおかしい。

これまでは何時から何時は仕事。仕事で出かける必要があるのは何曜日と何曜日。子供のお迎えは4時半でお稽古事があるのはこの日とこの日。そうやって生活リズムができていたのに突如それが何一つなくなる。

買い物をして人とすれ違って、知り合いと会ったら挨拶をして・・・そんな些細なことがなくなった。私たち家族4人はここに確かにいて生活をしているのだけど、周りにあったものが突然崩れ去り、孤島に取り残されたような感覚だ。

朝、子供達のエネルギーの発散のためにと家の周りをぐるっと一周するのだが、たまーに人とすれ違うのがなんだか不思議だ。相手もすれ違ってはいけないと思っているからだ。遠くに人が見えたら歩道を変える人もいる。人とのふれあいがそもそもないのに、たまにその機会が訪れてもそれは避けなければいけない。人と触れ合うことで、時間に凹凸がついていたんだとふと思う。

かろうじてしなければいけない仕事が残っているのでそれを進めることで前に進んでいる気がしている。締め切りがあると焦ったり、そんなものがないといいのに、と思ったりするけれど、それに向かって進んでいる感覚があったから生活が成り立っていた。

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我が家には小学生の子供達がいるから、どうしても朝昼晩の三食は用意しなければいけないし、おやつも欲しがる。学校からは宿題が送られてくるからみてやらなければいけない。

時間の感覚、曜日の感覚は少しおかしくなっていると思うけど、この子供との生活という枠組みがなかったら、もっともっと間延びしてしまうんだろうと想像する。

だから我が家では結局朝はちゃんと起きるし、着替えもする。そうすることで何となく日々がつながっている。

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