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【コラム】スピリチュアルペインを考える

こんにちは、緩和ケア医で心療内科のDr. Toshです。

皆さん、2021年も始まりましたね。いかがお過ごしでしょうか。

このコラムでは、私が感じたり思ったことを月1回のペースで書いています。このコラムで皆さまに何らかの癒しや勇気が与えられたら幸いです。

さて、題にも書いた、スピリチュアルペインという言葉を聞いたことがあるでしょうか?

スピリチュアルと聞くと、なんか胡散臭いなぁと感じたり、テレビなどでのスピリチュアルな寺院紹介や、稲川淳二の怖い話などを想像されるかもしれません。

しかし、緩和ケアで言うスピリチュアルはそのようなものではありません。

今回のコラムでは、スピリチュアルペインという、少しわかりにくい、しかし、緩和ケアにとって必要不可欠な考え方についてのお話をしたいと思います。


スピリチュアルペインとは

緩和ケアは、がん患者さんのために必要なもので、がん治療の1つとして位置付けられています。がんは2人に1人がなるもので、緩和ケアはがんになった瞬間から必要なケアであり、終末期の患者さんだけのものではありません。

しかし、がんになると、どの方でも「死」というものを意識します。スピリチュアルペインは、この「死」を意識した際に出てくる気持ちの苦しみです。

人生の最終段階を迎える人は、数々の苦しみを訴えます。その苦しみは、ご家族や医療者が応じられる苦しみと、応じられない苦しみがあります。

応じられる苦しみは改善することが可能です。痛みがあれば、鎮痛薬を投与し改善できます。抑うつに対しても、薬剤や、精神的なケアで、良くすることは可能です。

しかし、これらとは違い、応えられない苦しみがあります。それがスピリチュアルペインなのです。

例えば、

「死んだら私はどうなるの?死ぬのは怖い。」
「死んだらもう家族とは会えなくなってしまう。私はひとりぼっちだ。」
「昨日までは何とか頑張ってトイレに行けたのに、今日は助けてもらわないといけなくなった。こんなことなら死んだほうがましだ。」

このような、単なる医療的な治療で解決できないものです。

こういった患者さんを目の前にすると、私たちは言葉をなくします。しかし、同じ人間として苦しみをわかろうとすることはできます。話を聞き、寄り添い、癒すことがケアそのものになります。

ノートルダム女子大学教授の村田久幸先生は、終末期患者の訴えるスピリチュアルペインは、「自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛」と定義しました。

さらにそれを、人間存在の時間性・関係性・自律性の3つの面から分析しました。これを村田理論と言います。

時間存在の喪失とは、「死」によってこれからの「生」が絶たれてしまう苦しみです。

関係存在の喪失とは、「死」によって、大事な人たちとの関係性がなくなってしまう苦しみです。

自律存在の喪失とは、「死」のプロセスにおいて「自分らしさ」が喪失してしまう苦しみのことです。

少し難しい話ですので、イメージしやすいように先ほどの例で説明します。

「死んだら私はどうなるの?死ぬのは怖い。」というのは、時間存在の喪失のことです。

「死んだらもう家族とは会えなくなってしまう。私はひとりぼっちだ。」というのは、関係存在の喪失ということです。

「昨日までは何とか頑張ってトイレに行けたのに、今日は助けてもらわないといけなくなった。こんなことなら死んだほうがましだ。」というのが、自律存在の喪失となります。

これらのことが、スピリチュアルペインであると、緩和ケアの領域では考えられています。


スピリチュアルペインのケア

それでは、このスピリチュアルペインをどのようにケアしていけばいいのでしょうか。私が経験したケースを紹介したいと思います。

私がまだホスピスで働いていた時のことです。ある40歳女性の胃がんの患者さんがいました。

彼女は、2年前にがんが発見された時、すでに進行がんでしたが、手術を受けました。しかし、半年後再発しました。

その後も抗がん剤治療を続けましたが、がんはさらに進行し、肝臓、腹膜全体に及び、腸閉塞になってしまい、嘔吐、痛みもひどくなり、治療していた病院に入院しました。

主治医から、これ以上の抗がん治療は難しい、とホスピス転院を勧められましたが、まだあきらめたくない気持ちがあったため、彼女は非常に悩みました。しかし、子供と一緒に過ごせる環境であることを知り、ホスピス転院を決意し、入院してこられました。

入院後、症状緩和ができました。前の病院では、全く食事が取れませんでしたが、少量のジュースなどは飲めるようになり、ここに来られたことをとても喜ばれました。症状緩和ができると同時に、私にある悩みを打ち明けてくれました。

彼女は、「がんが全身に広がり、残された命も短いことを十分わかってはいるけど、子供にはまだ詳しいことを話していない。話さなくてはいけないと思うが、伝える勇気がない。」と話してきました。彼女には6歳の男の子のお子さんがいたのです。

私は、「まず、お子さんに毎日来てもらい、家族団らんの時間を十分に取って、それからゆっくりとお話しましょう。」とお伝えしました。それからお子さんはご主人と毎日訪室されました。

入院7日目のことです。私は、夜になって1人で彼女の部屋を訪れました。私はその日とても忙しくて、昼間に回診できなかったのです。

彼女は「痛みもなく良い時間を過ごしています。子供はここに慣れてきましたが、まだ病気のことは話せていません。」と語ってくれました。診察も済ませ、そろそろ退出しようかな、と思っていると、彼女が語りかけてきました。

「先生、怖い、死ぬことが…。こんな年で死ぬことが悔しい…。みんなと会えなくなることがさびしい…。」

これは、と思い、しっかりと彼女と向き合い、話を聞きました。

「…そうか、そうだよね。つらいね。」と返した後、次に話すことを考えていたら、今、これを言うしかない、と思うことが自然と口から出てきました。後で思えば、何かインスピレーションのようなものが下りてきたのかもしれません。

私は続けました。「今から医学的ではない話をします。私は、死後の世界はある、なければおかしいと思います。死んだら終わりなら、努力したり成長したり頑張る必要はないでしょう。この世は魂の修業の場、自分自身を成長させる所なのです。自分自身の人生の問題集を解けた人が天国に行けるのです。」

しばらく、彼女は黙っていました。そして小さな声で言ってきました。「私、天国に行けるかな。」

私は、「もちろん行けるよ。ご主人と一緒にお子さんを立派に育てたじゃないですか。先に行っても、みんなが来るのを待っていてくださいね。」と答えました。

それから2日後の早朝、病棟から電話がかかってきました。彼女が急変した、との知らせでした。急いで駆け付けると、すでに昏睡状態に陥っており、脈も弱くなっていました。余命も時間単位だと直感しました。家族にすぐ来るように呼びました。彼女の両親は遠方で到着に時間がかかりましたが、なんとか間に合いました。

家族が全員そろうと、なんと、彼女は眼を開けたんです。何とすごい精神力なのか、と私は感嘆しました。彼女は全員と話をしました。それから数時間後、彼女は穏やかに旅立って行きました。

短いホスピスでの時間だったけど、良い看取りだったなあ、と思う反面、1つだけ気がかりが私には残りました。

それは、息子さんに、自分がこの世からいなくなるということを伝えないままで、旅立ってしまったのではないか、ということでした。

「もしそうだとしたら、これから息子さんはつらい時間をすごすことになるのかなあ。」私はそのことだけが心配でした。

数日後、ご主人があいさつにホスピス病棟に来ました。その時、彼女は亡くなる直前まで日記をつけていたことを教えてくれました。

ホスピスに入院して、痛みが取れ、久しぶりに食べたアイスクリームがとてもおいしかったこと、そしてスタッフに優しく接してもらったり、力づけてもらったことなどが書かれていたそうです。

そして、日記の最後のページに、お子さんと話したことも書いてあったそうです。
それは、「お母さんがいなくなっても、元気で幸せになってね。」とお子さんに話すと、「わかった、でもお母さんこそ幸せになってよ。」と答えた、というものでした。

「ちゃんとお子さんに言えたんですね。ホスピスで過ごされた時間は短かったのでお子さんに伝えられなかったのではと思っていました。伝えられて良かったです。天国でみんなを待っていてくださいね。」と私は心の中で彼女にお伝えしました。


スピリチュアルペインのまとめ

改めて、もう1度スピリチュアルペインについてまとめます。

時間存在の喪失は、「死」によっても自身の生は大事な人たちに引き継がれる、そして肉体は滅んでも魂は違う世界で生き続けることができる、と信じることで癒されます。
関係存在の喪失は、今まで生きてきた自分は、多くの大事な人たちに支えられてきた、そして今も支えられている。死んでも違う世界でみんなを見守っている、と信じることで癒されます。
自律存在の喪失は、身体がどんな状態になろうとも、自身の意思、魂は自由であり、自分自身で選択できる、と思うことで癒されるのです。

私は、このスピリチュアルペインについては、多くの人に、自分なりに考えて欲しいと思っています。

スピリチュアルペインへの答えは、数学のように、決まった答えをわれわれ人間が導けるものではありません。しかし、この痛みはどの人間にも、必ず目の前に現れてきます。

ぜひ、このコラムを読んでくださっているあなたにも考えて欲しいと思います。

最後に、皆さんに1篇の詩を贈ります。エリザベス・キューブラー・ロスが、ダギーという脳腫瘍の5歳の男の子に送った詩です。

ダギーへの手紙
人生は学校みたいなもの。
いろんなことをまなべるの。
たとえば、周りの人たちと
うまくやっていくこと。
自分の気持ちを理解すること。
自分に、人に正直でいること。
そして、人に愛を与えたり
人から愛をもらったりすること。
こうしたテストに全部合格したら
私たちは卒業できるのです。


<今月の一曲>

今回の話に合うようなBGMを考えていると、この曲を思い浮かべました。Armando Trovajoliというイタリアの作曲家が、映画のサントラのために書いた曲です。ターコイズブルーのレコードジャケットのサントラ盤です。

空の上を自由に飛んでいる自分自身を想像できる、素晴らしい曲です。オリジナル盤は貴重盤で高嶺の花だったのですが、今は再発盤が出たので手に入れています。聞いてみてください。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

私は、緩和ケアをすべての人に知って欲しいと思っています。このnoteでは緩和ケアを皆様の身近なものにして、より良い人生を生きて欲しいと思い、患者さん、ご家族、医療者向けに発信をしています。

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