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第295話 「上手いこと言う」って、僕は違うんだよなぁ


第291話の記事 ↓ を書いていて、その途中で思考が広がった。


その1つは、翌日の第292話で書いた。大八木監督が泣かなかったこと機に、指導者の『涙』について考えた記事だ。


で、実はそのとき、これから書く、故相田みつを氏のことも浮かんだのだ。

マインドマップの下書きが長くなって、長文を嫌うゆかりちゃんのことが頭をよぎった。

大八木監督のことと、相田みつをさんのことは、それぞれ、別の記事にしようと、一石二鳥の考えを採用した。

記事は短くなり、ゆかりちゃんが喜ぶし(一鳥)、記事のネタが増えて僕もありがたい(二鳥)。


ところが、『なぜ、あのとき、相田みつをさんのことを考えたのだろうか』ということが、まったく思い出せない。何らかの関連があったはずだが…。

ま、とにかく、そのときの下書きを基に、今日の記事を完成させよう。


◆違和感

昔、テレビを観てて、「違うんだよなぁ」って思った。

故相田みつを氏の、特集番組だった。

代表作の、

つまづいたって
いいじゃ
ないか 
にんげんだ
もの

が紹介された。


TVの司会者が、「上手いこと、言いますよね~」と言った。

ここに僕は、少し違和感を覚えたのだ。

「なんか、ちょっと違うんだよなぁ」と思った。

何がどう違うかまでは考えなかったが、違和感を覚えたことは、鮮明に憶えている。違和感を放置したことも、憶えている。

あれから長い年月が経ち、頭の中での言語化は、だいぶ出来ている実感がある。

文章化、してみよう。


◆人を『努力量』『努力に費やした年月』で分類

まず、人を努力量で、1~4に分ける。

1.努力量が全然少ない人
2.そこそこの努力をしている人
3.かなりの努力をしている人
4.尋常ではない努力を重ねている人

ここでの『努力量』とは、個人の主観ではなく、他者と比較した客観とする。いわば、「神目線での努力量」という意味だ。


◆この文章の解釈

「つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの」

この作品の、文章の解釈を、いくつか上げてみる。

① 失敗してしまった人への、なぐさめの言葉
② 失敗を怖れている人への、励ましの言葉
③ 失敗してしまった自分への、なぐさめの言葉
④ 失敗を怖れている自分への、励ましの言葉

他にも考えられるが、代表的な『解釈』は、これらで良いだろう。


◆考察 1の「努力量が全然少ない人」

この、「努力量が全然少ない人」が、①の、失敗したときに、

「つまづいたって いいじゃないか・・・」と、なぐさめる人は、いない。

叱るか、ほっとくか、だろう。


この人が、②の、失敗を怖れているときに、

「つまづいたって いいじゃないか・・・」と、励ます人はいない。

だって、確実に失敗してしまうから。


この人が失敗し、「つまづいたって いいじゃないか・・・」と、③自らを、なぐさめている

イヤイヤ、少しは反省しなさいよ~。(えなり君の口調)


この人が、勇気を出し行動を起こすために、「つまづいたって いいじゃないか・・・」と、④自分を励ます

ないないない。そんなワケがない! こういうヤカラは、思慮なく行動する。失敗を想像しない。もちろん、悪い意味でだ。


◆考察 2と3の「努力をしている人」

この、「努力をそこそこ、あるいは、かなりしている人」が、

①の、失敗したときに、「つまづいたって いいじゃないか・・・」と、慰める人は、いる。

努力量の少ない人は、この言葉をすぐに受け入れ、気持ちが楽になるだろう。

だが逆に、努力量が多い人となると、この言葉には、複雑な感情を抱くんじゃないかな。「そんな、簡単に言うなよ~」的に。


この「努力をそこそこ、あるいは、かなりしている人」が、②の、失敗を怖れているときに、「つまづいたって いいじゃないか・・・」と、励ます人は、・・・いる。

例え失敗するとしても、それ以上に、行動を起こすことの大切さを訴えたいとか、

かなりの努力をした人になら、「そこまで努力したんだから、きっと大丈夫だよ」と、言ってあげたいとかが、代表例だと思う。


この「努力をそこそこ、あるいは、かなりしている人」が失敗し、「つまづいたって いいじゃないか・・・」と、③自らを、なぐさめている。

これは、努力量の少ない人だろうなぁ。努力量の多い人は、「そうは言っても~」、「ああだったなら…」、「こうしていれば…」と、後悔が尽きなく、そう簡単に、失敗を受け入れられない気がする。


この「努力をそこそこ、あるいは、かなりしている人」が、勇気を出し行動を起こすために「つまづいたって いいじゃないか・・・」と、④自分を励ます

いや、これは微妙だなぁ。

努力の少ない人は、熟考しないで行動するだろうし、逆に、努力量の多い人は、勇気を出すために、つまり、良い意味で開き直るために、こう言い聞かせる可能性は、大いにありそうだ。


◆考察 4の「尋常ではない努力を重ねている人」

◇1 かつ、これまで大きな失敗をしていない人


この、「尋常ではない努力を重ね続け、かつ、これまで大きな失敗をしていない人」が、①の、失敗したときに、

「つまづいたって いいじゃないか・・・」

と、慰める人は、・・・いない。

かける言葉がない。

そっとしてあげる。できるのは、きっと、それくらいだろう。そばにいてあげるとか、いつでも駆けつけてあげるとか。

ごくごく、本当に親しい人だけが、ギリ、言えるかもしれない。


この「尋常ではない努力を重ね続け、かつ、これまで大きな失敗をしていない人」が、②の、失敗を怖れているときに、「つまづいたって いいじゃないか・・・」と、励ます人は・・・いない。

この人は、自分で答えを出す人なんだと、そう周りは捉えているだろう。

この人に、「自分が励ましなんて、おこがましい」と、大抵の人は尻込みするだろう。


この「尋常ではない努力を重ね続け、かつ、これまで大きな失敗をしていない人」が失敗し、「つまづいたって いいじゃないか・・・」と、③自らを、なぐさめている。

これは、あり得るが、正確ではない。

「自らを、なぐさめる」のではなく、「この言葉に、なぐさめられる」は、まったくもって、アリアリだと思う。

失敗からすぐには、この言葉を受け入れられないかもしれない。だが、もがいてもがいて、苦しんで苦しんで、苦しみ切った状態のときになら、深く、そして優しく、この言葉が心にしみるのではないか。

この言葉の優しさに、救われると思う。


この「尋常ではない努力を重ね続け、かつ、これまで大きな失敗をしていない人」が、勇気を出し行動を起こすために「つまづいたって いいじゃないか・・・」と、④自分を励ます・・・ことはない。

云わば、「失敗しても仕方ない」というような、予防線を張ったりは、しないと思う。

熟考し、リスクを許容し、そしてトライする人だと思う。

大きな失敗をしたことないのだから、このタイプの人ならば、不安より自信が勝り、成功の絵しか浮かんでいない、とも思える。


◆考察 4の「尋常ではない努力を重ねている人」

◇2 かつ、これまで大きな失敗を何度もしている人

この、「尋常ではない努力を重ね続け、かつ、これまで大きな失敗を何度もしている人」が、①の、失敗したときに、

「つまづいたって いいじゃないか・・・」と、慰める人は、いない。

慰める必要がない。慰めるタイミングが、数秒しかない。すぐ、次のアクションしている。

そもそも、トライ&エラーは日常茶飯事で、きっと、落ち込んでなんかいない。


この「尋常ではない努力を重ね続け、かつ、これまで大きな失敗を何度もしている人」が、②の、失敗を怖れているときに、「つまづいたって いいじゃないか・・・」と、励ます人は・・・いない。

不要だもん。


この「尋常ではない努力を重ね続け、かつ、これまで大きな失敗を何度もしている人」が失敗し、「つまづいたって いいじゃないか・・・」と、③自らを、なぐさめている、・・・訳がない!

失敗の分析をし、原因を探り、次の成功に活かす思考をしているだろう。「いいデータが取れた~!」と、喜んでいる可能性さえある。


この「尋常ではない努力を重ね続け、かつ、これまで大きな失敗を何度もしている人」が勇気を出し行動を起こすために「つまづいたって いいじゃないか・・・」と、④自分を励ます・・・ことはない。

勇気を、必要としていないだろう。失敗を怖れていないと思う。トライ&エラーで良いと思っているハズだ。

このタイプの人なら、「つまづいたって いいじゃないか 挑戦だもの」という、そんな達観をしていそうだ。



◆丞持(じょーじ)の解釈

相田みつをさんの、代表作

つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの

という作品は、

努力量の多い人にしか、本当の意味では、刺さらない

と、僕は思う。


成功したい! 失敗したくない! 失敗は許されない! 

言い換えれば、一切、つまづきたくない。

それゆえに、細心の注意を払い、

努力を重ね、

成功を重ねて、

自信も築き、

地位も名誉も得て、

そんな人が、初めて、つまづいた。

・・・。

そんな時にこそ、この作品の真価が発揮される。


そして、もう1つ。

この、はじめて失敗を味わった超努力者が、次の挑戦に対し、臆病になったとき、

1歩、踏み出す勇気を、

良い意味での開き直りを、

この、

つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの

という作品が、与えてくれるのかもしれない。


僕は、そう思う。

そう思ってしまう。


なので、冒頭のTV司会者の、「上手いこと、言いますよね~」って、僕には、違和感バリバリだったのだ。

言葉のチョイスとかじゃない、と思う。

表現の巧みさとかではないのだ。


相田みつをさんの作品が、僕らの胸を打つのは、

相田みつをさんが、尋常ではない努力を重ねたから、

同じように、凄く頑張っている人に寄り添ってくれるから、

そして、あたたかく、

めっちゃ、やさしいから。


相田みつをさんの、背負っている、「背景」が、凄いから。

そこから滲み出される、念、のようなモノが、

あちこちにぶつかりすぎて、これ以上は丸くなれないという、真球、のような、丸さ、のようなモノが、

そういうのが、凄いのだ。


なにが、「上手いこと、言いますよね~」だ!!

たくさんいる【相田みつをの二番煎じ】が、ちっともブレイクしないのも、根本的に違うからだ。

「オレなりの名言を、オレなりの書で」と、その見えるところだけを真似ても、背景がまったくもって違うのだ。


自分の作品以外で金銭を得ることを禁じ、奥さんのパートも禁じた。

教師の資格もあったが、「副業」などとは、微塵も考えなかった。

いつ、最高の作品ができるかわからないからと、紙も墨も、常に、最高級の品を使った。

その紙と墨で、膨大な、失敗作の山を築いた。

1度売れた作品でも、納得がいかなくなると、買い取って燃やした。

言葉を書く人間には、知も教養も必要と、本屋さんでの購入額は、足利市内で1、2を争うほどだった。(極貧生活なのに)

自分の作品を、買ってくれる人を、飛び込み営業で開拓した。


果たして、この、覚悟ができる人が、いったいどれほどいるだろうか?


ちなみに、僕にはできない。

本当に、頭が下がります。


以前、このnoteのどこかの記事で、軽く触れたかもしれないが、今日は、本意気で書いた。



◆結論

ちなみに、相田みつをさんは、ある書籍で、「僕は、僕の作品を見た人が、『なんか、ヘタクソな字で、オレでも書けそうだけど、ま、なんかイイこと、書いてあんなぁ』と、そう思ってもらえるようにと願って、作品を書いております」と、そういう意味を綴っていた。

だから、先のTVの司会者が【間違っている】のではない。

なんせ、当の、相田みつをさんが、それでいいと言っているのだから。


僕は、相田みつをさんの作品からは、深い学びを得ている。

そういう自覚がある。

そういう、つもりがある。

そういう、僕のような面倒くさい思考もある、と。

僕のような、こんな解釈もある、と。


今日は、そういう記事となった。


・・・しまった。

本意気すぎて、ゆかりちゃんが、途中で寝落ちするほどの、長文になってしまった。


◆〆

僕は昔、相田みつをさんの作品集や書籍には、大変お世話になった。

部下育成や組織構築。そして、高校生や、高校生の保護者へのセミナーに、たくさん引用させていただいた。

もちろん、自分自身も、大いに学ばせていただいた。


書いていて思った。

また、相田みつをさんの記事を書きたいと。



今日の、ゆかりちゃんの感想は、「長い!」だ。

間違いない。

もしくは、寝落ちして、感想は、明日聞くことになるかもしれない。


僕は、僕の長文記事が苦手な、そんなゆかりちゃんも、大好きなのだ。





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