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第192話 僕なりに、やっと『尊重』がわかったぞ


ここ1年と少々、僕の頭の中の【ナナメ右のやや後ろのあたり】【右の耳たぶの最頂点の、さらに5㎝上。その辺の内部】には「尊重って、なんだろう」という疑問が、ず~っとあった。

【尊重】:尊いものとして重んずること 引用:Google辞書

・・・ピンとこない。

意味は分かる。わからないのは、尊重の実践だ。

僕だって、尊いと思えることならば、ちゃんと重んじれる。尊いと思えないことも重んじるのか? それが『尊重』か? なんか違うと思う。

良く、意見が対立した議論などで、「まあまあ、相手の意見も尊重して…」などと言う。しかし、相手が、どう考えても、下らない価値観による下らない意見を言っていたなら? それでも重んじるの? それってムリじゃね? それってウソじゃね? 本当に、それができる人っているの?

いや、たとえば、僕とは意見が異なっても、でも相手の意見にも一理あって、(なるほど、傾聴に値するなぁ)と思えれば、たとえ反対意見でも尊重はできるだろう。

超、低レベルな意見だったら? それを尊重するの?

僕には、『尊重』という言葉の定義が定まらなかった。辞書の意味では腑に落ちないのだ。


◆春山の定義

僕の友だちに春山(仮名)がいる。呼び捨てなのは、だいぶと年下の元部下だからだ。

春山は、「尊重とは、誰かの考え方や想いが、自分の思い通りにならなくてもそれを受け入れること」と定義して、それを僕に教えてくれた。

付随する春山語録も記す。

自分の考えと違う人を排除したり、無理やり従わせようとする。人類の愚かすぎる歴史は、すべてコレと言っても過言ではない。
じょーじさんが、もっともできてないことが、尊重かもしれませんね。
人間関係が上手くいかない人は、尊重することを知らないのかも。



◇このときの、じょーじの思考

「自分とは違う考え」これを受け入れるって、難しいなあ。それは迎合しているだけなのではないか?

【迎合】:自分の考えをまげても、他人の意に従って気に入られるようにすること 引用:Googleの辞書


受け入れたフリはできても、でも僕の考えとは違うわけだから、僕は、本心からは受け入れられないなぁ。

って言うか、そもそも春山ってオレの意見を受け入れないや~ん。尊重してくれず、否定するや~ん。


◆マコなり社長

マコなり社長は、自身のYouTube『【危険】実は頭が悪くなる行動 TOP3』の中で、こう言っている。

「他人の意見を尊重するとは、余白のある伝え方をすること」


「あなたのやり方は間違っている」という言い方はNGだと。

「こういったやり方もイイとと思ったんですけど、どう思いますか?」と、このように余白のある伝え方がイイ。それが相手の意見を尊重する、ということなのだ。

多くの人が「相手の意見に合わせること=尊重」と思っているが、それは違う。それは、媚びているだけだ。


◇これを聞いての、じょーじの思考

イイことを聞いたぞ。余白だ、余白を持てばイイんだ。今度、春山にこれを言ってドヤろう! 「やりますね~、さすが~って」言ってもらおう。

・・・まてよ。なんか、腑に落ちないぞ。

そもそも、これって、テクニックにすぎないし。

この程度のウンチクを春山に語ったら、言葉でボコられるぞ~。

(※注:春山は、年上も上司も元上司も、なんにも忖度しない、正直で素直な、超ハイレベルな論客なのだ。僕は、春山に議論で勝てたことが無い)


◇さらに、このときのじょーじの思考

そもそも、春山もそうだし、マコなり社長にも感じる。僕と同じ匂いを。

「尊重が不得意市」か「尊重なんか不要区」出身の匂い。住所は「負けず嫌い町1丁目」なハズだ。

努力の結果、尊重を身に付けたのかもしれないが、しょせん、出身地は同じじゃないか。それなのに「尊重がわかっていない」とか言っちゃってさ~。

「ほぼ生まれながらに尊重してた県」「物心ついたら尊重してた府」出身者の匂いのする、モリゾンや児玉が言うのなら、「カチン」とはこなかった気がするけど、同じ「不得意・不要」出身の御ふたりに言われたのでは、なんか素直になれない・・・。

「え、え、え? 本心ですか? 僕と同じ、こっちの住民じゃないですか~」と言いたくなる。

そんな、人間の小っちゃい僕がいた。そう、少し「カチン」ときたのだ。


◆尊重って、難しい

相手の意見を尊重する?

聞く価値のない下らない意見なら、尊重などできない。これは普通じゃないのか? 下らない意見は、誰もが尊重はしていないと思う。

尊重に値する意見なら、僕だって『尊重』している・・・は、ず・・・?

このときの『尊重』の定義が、バラバラだと感じた。僕も、春山も、マコなり社長も、同じ『尊重』という言葉を使っているが、定義はバラバラだ。

【給料】という言葉を、「仕事に使った時間の対価」と考えている新入社員と、「会社にもたらした利益に対する報酬」と考えている経営者では、話はかみ合わない。

「給料が安い」と訴える新入社員は、時給計算で「安い」と言っている。かたや経営者は、「君は1円の利益も上げていないが、15万円も払っている。だから、給料は安くなんかない」と言っている。

定義が大事なんだ。

僕は、『尊重』という言葉の、定義を明確にしたい。


◆亡き親友、田代

「おぎゃあ」と生まれたときから『尊重』していた。田代は、そんなヤツだった。おそらくは、「かあちゃん、そろそろ出てもイイかなぁ?」と、母ちゃんの意見を心で聞いて、それから生まれたんだと思う。

誰に対しても優しかった。

陰口も言わなかった。

でも、晩年の田代が「オレは、八方美人なだけだ」「オレは、じょーじが言うようなイイ人間ではない」「オレはオレを、そこまで好きじゃない」と、言ったのだ。


春山は言った。「じょーじは、イエスマンが好きだから」と。

田代は、誰にでもイエスマンだったのかもしれない。もちろん僕にもだ。

だから僕は、田代を好きだったのだろうか?


◆モーニングページ

最近、めっちゃ高頻度で出てくる「モーニングページ」だ。

ここで結論が生まれたのだ。

ここで、尊重の定義が明確になったのだ。

今日は、ノートの文章は紹介しない。最重要キーワードのみを記す。

・フォルダ

・「絶対に正しい」なんて無い

この2つのキーワードが浮かび、結論へと導かれた。解説する。


◆フォルダ

Aさんが意見を言った。

僕は、僕の脳内に、『Aさんの意見』というフォルダを作り、キチンと保存する。

もしも、このAさんの意見が、僕の意見とは対立するものだったりしても、キチンと保存するのだ。もしも低レベルでくだらない意見だと思ったとしても、それでもフォルダに入れて、大切に保存するのだ。このとき『ごみ箱』に入れてはいけない。

ちゃんとフォルダに入れて保存する。

これが、尊重だ。

辞書の意味にも合致している。「尊いものと重んじる」行為だ。

僕の意見と『違う意見』は、考えて見れば貴重な意見だ。新しい発見があるかもしれない。僕の成長や、変化が生まれるかもしれない。


◆「絶対に正しい」なんて無い

僕は、自分に自信がありすぎた。「僕のこの考えは、絶対に正しい」と、しょっちゅう、そう信じていた。ついでにいうと、「僕は、ほぼ完ぺきだ」と思っていた。

◇過去のじょーじ

・じょーじの考え=PC

・じょーじの考えと同じ考え=フォルダ ※これは重要:見たり聞いたりすると心地良いから

・じょーじの考えの基になったもの=フォルダ ※これも重要:素晴らしい教えだから。そして「この教えに包まれているオレって最高~!」って思えるから

・じょーじの考えと異なる考えや意見=ごみ箱 ※定期的に、ごみ箱の中も完全削除 見たくも聞きたくもないもの 邪なもの

**ちなみに** 春山の定義の「受け入れる」を、「あなたの考え(PC)を【上書き】しろ」と解釈し、僕はそれに抵抗を覚えたのだ


◇今日以降のじょーじ

・みんなの考え=フォルダ(個別)

・自分と違う考え=フォルダ ※むしろ貴重:新たな気づきをくれる可能性がある

・自分と同じ考え=フォルダ ※重要度は、むしろ低い:知っている内容だから 知っているだけで、実行できていないモノは重要

・僕の考え=フォルダ ※客観視:自分の意見を「主観」(つまりPC)としては捉えない 俯瞰して見る たくさんのフォルダの中の「1つ」として自分のフォルダも見る みんなのフォルダと重要度は同じ

※自分の考えフォルダと、みんなの考えフォルダの扱いを同じにする。どちらも大切だ。

・ごみ箱=めったに入れない ※数年間吟味の結果、やむを得ないときのみ使用 ごみ箱の中の削除は、ほとんどしない(僕の、脳内のことです。PCに例えていますけど)

※ゴミ箱行きの意見にも『感謝』をするくらいになろう。「これは無駄と判明した、ありがとう」と。

**ちなみに** 春山の定義の「受け入れる」は、「1つのフォルダとして大切に保存しておくこと」だったのだろうと、今はそう思える



◆結論&整理

自信家は要注意だ。そう思う。きっと春山とマコなり社長は、この辺をキチンと克服したんだと思う。そして今なお、気をつけているんだと思う。

春山は、僕にアドバイスしたんだと思う。でも、僕は「否定された」と捉えた。これって、僕も、敵意帰属バイアスなのか? 

その気があると思う。

※敵意帰属バイアスについては、過去に書いた。


このとき、敵意帰属バイアスは、「自信がない人がなりやすい」と解釈し、そう記事にした。

自信満々でも、敵意帰属バイアスがある。「なんでオレの意見に従わないんだ~!」って、敵意を顕わにする。「お前の低レベルな意見なんか、どーでもイイんだー!」って、なる。

自信満々バージョンの敵意帰属バイアスだ。


一見、真逆の「自信がない人」と「自信満々な人」だが、実はこれ、同じなのかもしれない。

自信満々な人って、本当の意味では「自信のない人」なのかもしれない。


* * *


僕は、春山に

じょーじさんが、もっともできてないことが、尊重かもしれませんね。

こう言われたとき、ちょっと、「カチン」ときてた。

本意が届かなかった春山は、きっと悲しかっただろう。あのときはスマンかった。


マコなり社長の「余白のある伝え方をする」というアクションプラン。

めっちゃ明確なアドバイスだ。

「このやり方もイイと思ったんですけど、どう思いますか?」

つい、「違うよ!」といってしまう僕には、大変ありがたい。

でも、このテクニックは、僕の場合は、フォルダに入れて、そして、しばらくは忘れることとする。

僕は、「僕の考えと違う意見を、ちゃんとフォルダに入れる」という行為が、まだ習慣になっていない。

「知る」と「やる」とは天地の差だ。

【ちゃんと聞いて、ちゃんとフォルダに入れる】

こっちの習慣化に取り組む。反論しない。

この行為が、息をするように自然にできるようになったら、

「このやり方もイイと思ったんですけど、どう思いますか?」

というフレーズを解禁しようと思う。

なんなら、いずれ、自然に、本心から、このセリフが出てくる。そんな予感がある


◇尊重とは

モノの見方・考え方を勉強し、実行し、努力を重ねた者(『世の中に「絶対に正しい」など無い』という大原則をふまえていて、まして、己ごときの意見が「絶対に正しい」などと驕らない人物)が、対象に対し、大切に思う思考や言動。

代表的な具体例は、他人の意見は尊いと重んじ、キチンとフォルダに入れて保存すること。そしてこのとき、己の意見もフォルダに入れて、それぞれのフォルダを、同等に大切に重く扱うこと。


「長~い!」って、ゆかりちゃんなら言うかなあ。


春山は「じょーじは、ゆかりちゃんのことも自分の意見に従わせたいんだ」と看破していた。

かなり前で、何年もまえのことだ。

僕は、それを、重く受け止めなかった。これは、「春山の意見を尊重していない」という証ではないか。

尊重が、苦手と言われても、ぐうの音も出ない。

人の意見は、キチンと傾聴すべきだ。


きっと、今日の記事で、ゆかりちゃんの、春山株が上がったと思う。

そして僕は、やっと、「ゆかりちゃんを幸せにする」という目標への、正しい方角を見つけたのかもしれない。


この記事も、今朝のモーニングページから生まれている。

そして、この『尊重』。

僕なりに理解はできたが、実践(習慣化)は簡単ではないだろう。

カーネギーの教え同様、ゆかりちゃんに「尊重、どこ行った?」と指摘してもらって、身につけていこうと思う。


僕は、本当に、ゆかりちゃんが大好きなのだ。


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