だからサッサと手術しろよって言ったじゃん!なんて言わないよ絶対~~~!
この記事と、
この記事と、
この記事と、
この記事の続きです。
でも、今回の記事だけでも、内容が理解できるように書きます。
◆これまでのあらすじ
僕は、18歳から20年間、椎間板ヘルニアによる腰痛に悩まされ続けてきました。
38歳の8月には、手術の予定でした。予約をしてあったのです。
しかし、その春。
ついに動けなくなり、救急車で藤沢市民病院に運ばれました。
椎間板ヘルニア手術を予約していた病院ではないものの、辛い痛みから1秒でも早く逃れたく、僕は手術をお願いしました。
担当医に向けて、「ったく・・・」という気持ちを完全には消せなかったらしく、神経に触れてみるという検査では、非常に念入りな検査をしていただきました。
◆インフォームドコンセント
インフォームドコンセントがありました。
「万が一があります」という説明を聞くって、意味あるのでしょうか?
それを聞いて、「じゃあ、やはり手術しません」って方って、果たしているのでしょうか?
10年間、この痛みがないのなら天国だと思いました。
担当医の説明の全てに、「はい」「分かりました」と、心を込めて丁寧に応えました。
顔だけではなく、心からの同意です。
手術の当日には、離婚した元妻が娘を連れて来てくれました。
万が一が無いとは言えないワケで、万が一の前に会わせておこう、という考えだったのかな。
娘が心配そうな顔をしていて、それだけで僕は幸せな気持ちになりました。
「全身麻酔は、ウワサでは、数を数えているうちに眠るらしい。
お父さんは1000まで数えて、麻酔の先生を驚かせてやる。ハハハ」
娘は、少しあきれながら、でも、笑ってくれました。
あ、このときは、まだ妻のゆかりちゃんとは出会っていません。
ゆかりちゃんは、この頃、もしかしたらちょうど、
「ステキな男性と出会えますように・・・」
と、神様に祈っていた時期かもしれません。2005年です。
◆手術
麻酔のときに、
(そうだ、数をいくつまで数えられたか憶えておかないとな)
と思ったことは憶えています。
2まで? 3かな?
いや、何も記憶がありません。
まさかのゼロ、かもしれません。最短記録だったりして。
手術ですが、僕は何も憶えていません。
気がついたときは、いつもの病室でした。カーテンで仕切られていました。
手術で切った背中が痛いかというと、別に、痛くないのです。
麻酔が残っているのか、別な理由か、とにかく現実感がなかったです。
ふわふわしている感じでした。
感覚的には、手術前に娘と会話してから5分後って感じです。
5分にしては良く寝たなぁ、という感じでした。
時間の感覚が狂ったのですね。
あと、このとき鏡を見て、僕が女性の顔や身体に変わっていても、そこまで驚かなかったハズです。
なんか、借り物の身体を着ているような、そんな違和感があったからです。
◆手術後
椎間板ヘルニアの痛みが、まったく失くなりました。
手術の痛みもありません。
内臓の病ではないので、何を食べても構わないのです。
即退院しても問題ない状態でした。
手術の翌日から数えて、5日間泊まりました。
念の為の入院で、何もやることのない日々でした。
救急車で運ばれて、担当医が、僕の希望通りに即手術をしてくれたなら、
入院は1週間で済んだのです。
僕を約1ヵ月も入院させやがって、なんて言わないですよ、絶対。
少なく見積もって2週間以上もの僕の貴重な時間を奪いやがって、なんて言わないですよ、絶対。
退院の日、前の会社の部下が来てくれました。
車で来てくれて、ありがたかったなぁ。
◆教訓
一人暮らしで最も困るのは、病気やケガです。
それを身に染みて感じました。
2013年(2014年かも)には、突然、網膜剝離となって緊急手術をしました。
術後3週間、目から自然にガスが抜けるまでうつ伏せでした。
このときは遠距離恋愛中のゆかりちゃんに、めちゃくちゃ助けられました。
さらには、愛知県に来て3年目ぐらいかな。
痔の手術で入院しましたが、ゆかりちゃんと結婚していましたので、このときは一人暮らしではなかったのです。
ゆかりちゃんのおかげで、それはそれは快適な入院でした。
物理的にも精神的にも、パートナーのありがたさを骨の髄まで感じました。
さて、なんと!
ここまでは前置きです。
椎間板ヘルニアの手術から、ちょうど10年で、脚への痺れや腰の痛みが再発したのです。
あんな先生でも実はチャントした先生で、再発の予言はピタリと当たりました。
このシリーズ、まだまだ続きます。
ここからが本番です。
その6へ続きます。長すぎるのでマガジンを作りました。
おしまい
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