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似て非なる「悔しくない」を、ひと筆書きしてみました
今日の、鴨頭義人さんのVoicyにヒントをいただき、「悔しい」について記事を書きます。
◆鴨頭義人のVoicy
鴨さんの、今朝(2023年3月9日)の配信 ↓ です。
チャプター1~5は、鴨さんの宣伝です。
本題は、チャプター6、7です。
鴨さんは、「悔しさ」について語られていました。
悔しさには、エネルギーがあり、
悔しさには、夢や目標があり、
悔しさには、愛があり、
と、実際にあったエピソードをもとに、熱く語っていました。
聴きながら、既知感を僕は覚えたのです。
つい最近、同じようなエピソードを聞いたような感覚です。
その原因が分かりました。
3月1日に投稿した、僕の記事です。
僕は、その記事の中で、他のnoterさんの記事を紹介していたのです。
◆たぶん妻は読んでいない
それが、せやま南天さんの、この記事です。
ごらん ↑ の通り、スキが1,200以上もついている神記事です。
でも、90%以上の確率で、妻のゆかりちゃんは読んでいないと思います。
なので、少し解説します。
◆悔しくない
せやま南天さんの記事は、
6歳の息子は、諦めるのが得意な子だ。
という1行から始まります。
6歳の少年は、自分の心を守るためなのか、負けそうになると途中でやめてしまうそうです。
かけっこでもトランプや将棋でも。
息子さんは、負け切ってはいないので、悔しがることもない、というのです。
お母さん(せやま南天さん)としては、少し心配ですよね。
どうやら、悔しがるためには、『悔しがる資格』が必要、のようです。
◆悔しい
せやま南天さんの息子さんは、あきらめなかった『三苫の1ミリ』に感動したのでしょう。
負けそうになっても、あきらめない少年に変わりました。
しかし!
あきらめなければ勝てる、というものでもありません。
現実は厳しく、2歳上のお姉ちゃんに、かけっこで負けてしまいます。
息子さんは、悔しくて泣きました。
これは、言い換えれば、「悔しがる資格を得た」のです。
◆いったん、まとめ
鴨さんのVoicyも、せやま南天さんさんの記事も、
「悔しい」という気持ちの尊さ を教えてくれました。
目標がある証であり、頑張った証であり、悔しさが凄ければ凄いほど、その後の成長も期待できます。
◆悔しくない人や、その境地
今朝の鴨さんのVoicyを聞いて、
せやま南天さんの記事を思い出し、そこから僕は、さらに思考しました。
僕は、20歳になるまで「悔しさ」とは無縁の人間だったのです。
そうです。
僕は、せやま南天さんの6歳の息子さんの境地の、そのまんま、20歳にまでなった人間だったのです。
ある程度までは頑張りますが、ある程度以上は頑張りません。
「やればできる。やってないだけ」という免罪符を手放したくないのです。
そんな、腐った青年が、営業職という職種と当時の上司に恵まれて、ある程度以上の努力をするように変わりました。
悔しさを知りました。
そして、努力が報われるという結果と、その感動も味わいました。
この頃の僕は、いわゆる負けず嫌いな人間に変わっていました。
良い意味でも。
悪い意味でもです。
僕は、53歳になって(3年前)から、
草薙龍瞬さんの著書『反応しない練習』を読みました。
すぐに、岸見一郎さん、 古賀史健さんの著書『嫌われる勇気』を読みました。続編の『幸せになる勇気』も読みました。
この3冊の教えを脳に刻み、潜在意識にまで刷り込みたくて、Amazonオーディブルで、それぞれを10回以上聞きました。
僕は、
他人と競争する自分を変えたい
と、強く願ったからです。
勝ち負けで判断するクセも卒業したかったし、他人と比較するクセも卒業したかったのです。
僕は、真に他者と比べて「悔しい」と思う自分を卒業したかったのです。
やせ我慢して「別に、悔しくないよ」と言ったり、演じたり、振舞ったりするのではなく、真に、己の課題だけに没頭する、そんな僕になりたいと思ったのです。
◆悔しくない人は2種類いる
悪い「悔しくない」も、あると思います。
でも、良い「悔しくない」が、あります。
そして、
良い方の「悔しくない」という人は、2種類いると思います。
1つは、僕のように、
悪い「悔しくない」という時期を経て、
その後「悔しい」を知って、
勝利や目標達成を、ちゃんと味わって、
さらにその後、「悔しい」を卒業する、
他者との競争を卒業する・・・
という、面倒くさく、しかし、王道のプロセスを経て、「悔しくない」という境地に立つ人です。
今の僕は、人と比べないので、そこで悔しいという気持ちになりません。
自分自身に対して、悔しいと思うことも、ほぼほぼありません。
良い習慣を少しずつ身に付け、今では自分に失望することが、ほとんどないのです。
もちろん、小さな失望を自身に覚えることはあります。
「また、失敗か」という感じで。
でも、これも、これまでの経験から、
ダメな自分を良い意味で許すことが重要と知っています。
甘やかしているのではなく、即、次の努力を行なった方がイイのです。
責めず、甘やかさず、あきらめず、って感じです。
要は、
紆余曲折あって、この境地にたどり着いた、というパターンです。
2つ目は、僕とは違って、
幼いころから、勝ち負けに執着しないし、他者との比較にこだわらない、
にもかかわらず、
自分自身の世界の中で、自分がやりたいことをキチンと行なっている
という、穏やかな努力家です。
本人は、楽しいことを楽しんでいて、特段の努力を行なっているとは思っていない、そんな境地の子供や青年や大人です。
ごく稀に、こういうタイプの人がいると、僕は思います。
◆つまづいたって
相田みつをさんの、
つまづいたって
いいじゃないか
人間だもの
は、代表作です。
![](https://assets.st-note.com/img/1678359084585-QAcIty2sJe.png)
この名言は、浅くありません。
「転ばないように」
「失敗しないように」
「つまづくことさえないように」
と、細心の注意をはらい続け、努力を重ね、成功を重ね、
でも、わずかに届かなかった、とか、ミスを犯してしまった、とか、
そういう凄い努力をした人に対する一言です。
努力の足らない人への、なぐさめの言葉ではありません。
◆まとめ
今日のこの記事をまとめます。
上司が部下に対して、
①やさしく接したら、いつの間にか舐められていて、
↓
②ならばと、厳しくして、
↓
③厳しくしたら、いつの間にか嫌われていて、
↓
④ならばと考えて、また、やさしく接するようにした
この場合、①と④が、同じ優しさの上司がいます。
ぐるっと廻って、元に戻っただけです。
でも、
この同じケースでも、①と④が、違う優しさになっている上司がいます。
ぐるっと廻って、でも、高い位置の優しさになっているのです。
らせん階段のように、上に上がっているのです。
今日の僕の記事で言いたいことは、
鴨さんのVoicyを聞きました
↓
悔しさについて考えました
↓
せやま南天さんの息子さんを思い出しました
↓
僕は20歳まで悔しさから逃げたなぁ、と思い出しました
↓
せやま南天さんの息子さん、凄いなぁ、と思いました
↓
ま、僕も遅ればせながら20歳以降、努力したなぁ
↓
負けず嫌いになったなぁ
↓
そのおかげで、勝利や目標達成をしたなぁ
↓
53歳で、他人との勝負や比較から、卒業を試みたなぁ
↓
1段上の「悔しくない」という心境が、あるよなぁ
というものです。
鴨さんのVoicyも、せやま南天さんの記事も、1ミリも否定するものではありません。
僕の脳に刺激をいただきまして、ありがとうございます。
◆〆
「長々と書かないで、最後のまとめだけでイイんじゃない」
と、ゆかりちゃんに言われるかもしれません。
ゆかりちゃん。
四の五の言わずに、せやま南天さんの記事、読んでみて。
ステキな記事だよ~。
僕は、ゆかりちゃんが大好きです。
チャオ!
※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第1061話です
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