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彼と私は違う個体だったのだ

マネキンのほつれを黙々と縫っていた。

縦に10センチ、横に5ミリぐらい、表面の裂けたような傷をかがるようにして穴を塞ぐ。(職場ではかなり古いボディを使っているので時たまそのようなことがある)この作業は嫌いじゃない。手持ちぶさたな時、行き詰まった時、無性にやりたくなる時がある。
黙々と作業していると、考えるわけでもなく、いろんな事が浮かんでは消えて行く。

私はお付き合いしている人とは感情を共有したいと思っていた。
楽しいときはもちろん、悲しいときも伝えたい。楽しいときは共に楽しみ、悲しいときは慰めあうような、付き合うって支えてくれるってそういうことじゃないの?と長らく思っていた。

しかし今お付き合いしている彼は、 凪だ。
心電図なら死んでいると思う。横直線。感情に起伏がなく、動揺しない。悲しい、辛い、を伝えても平然としている彼に、初めはとにかく苛立ちを覚えていた。
何故同じように同調してくれないのか?
何故悲しんでいる自分を横目にほっておけるのか?
しかしよくよく考えると自分がかなりヤバイ奴である。感情豊かであることが良いことだと思って生きてきたが、ちょっとでもオーバーすると一気に加速してヒステリックな方向に走ってしまう厄介な思考。

そもそも近年まで、自分と彼が別の個体だということをわかってなかった。
何故か恋愛、ひいては交際している相手に限ってのみ、自分と異なった考え方の存在をこれっぽっちも考えたことすらなかった。
付き合ってしまえば、思考がイコールになるものだと何故だか思っていた。いや、思うよりもその考えの自覚すらないまま生きてきたので、かなり厄介である。

おかげさまで、これまで付き合って来た人とは、とにかく衝突した。
こちらは当たり前だと思っていることを相手がしてくれないとき、とにかく荒れた。なんでわかってくれないの?!当たり前どころか、無意識に呼吸をするレベルの刷り込みなので、こちらとしては理解不能なのだ。しかし相手のほうがいきなり理不尽にキレられ理解不能だったと思う。本当にごめんなさい。

人からなにかいわれたら「してあげなければならない」、という考えも裏を返せば人になにかいったら「してくれるだろう」である。とにかく身勝手な期待だ。
これが私にとって息をするように当たり前で、私の為に何かしてくれることが愛情だと思っていた。こちらのなんでわかってくれないの?の感情の爆発について彼は「なにもしない」。言葉に左右されるのではなく、「なにもしない」という考えの選択肢があることを彼は教えてくれた。してあげる、してくれる、は早く滅びた方がいい。感情的に動かない。動じない。なにもしない。これが大切だったのだな、とずいぶん大人になってから気づいた。

それから経験と時を経て、人それぞれ違う考え方があることも、それが当たり前であることも理解しているつもりだった。が、今日。マネキンのほつれを繕っていたとき、はっと閃きのように腑に落ちた。そうか、そうだったのか。
そもそも彼はそうであるのだから、そうでしかない、ということ。
わたしもわたしであるようにわたしでしかない。
彼のように広い海のように、わたしも凪でありたい、と願う。

普通の人の毎日はその人だけのもの。人の暮らしに興味があります。なので自分も書き残してみることにしました。いつか文フリに出るときの貯金にします。