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立冬とちいさな陽と

秋はいちばんすきな季節だけれど、葉の散る音やつめたい北風に気づいたとき、やっぱり哀しくなってしまいます。食欲の秋の次は憂愁の秋がくる。
それ以上に私が落ち込んでしまうのが、秋から冬へ移り変わるとき。
たとえば今日みたいに急に冷え込む日、とかです。今もなんだかかなしくて、泣きたくて、いや~な感覚を覚えながらおなかの痛みに耐えてたけど、やっぱり月のものがきていた。

きょうは空気がとても澄んでいて、オリオン座が綺麗に見えていたよ。

思えば私は、写真や本やことばのように”質感”を感じられるものが、(創作物と言っていいのかな?)昔からすきでした。作り手が込めた気持ちだったり、もののなめらかさや美しさだったりが”質感”として流れ込んでくると、すさんだ心の砂嵐が少し落ち着くように感じられたのです。
嫌なことがあったとき、かなしくなったとき、おわりになりたいと思ったとき、よくこれらにすがっていたね。救われてはいないけど、よく助けてもらっていたね。

ところで出会いってすごくて、自分と似た人を嗅ぎ分けているのかなと思うくらい”そっくりさん”と巡り合ったりする。たとえば家庭環境が似た友人と出会ったり、たとえば日本語の繊細さに魅了された先輩と出会ったりするのです。
その先輩はいつも輪の中心にいるムードメーカーで、スポーツが上手で、よく騒がしくしているタイプの、つまり私と正反対の人。あ~わたしがかかわったことない感じの異性だ…と少し距離を置いていたけれど、本当はひどく不器用で繊細でやさしくて、その分人の気持ちを読むのが上手で、シャッターを切るのがすきで、小さな幸せを大事にするような人でした。
「静」と「動」の緩急激しすぎて、こころがはじけ飛ぶかと思いました。
(本当に人を一面だけで判断してはいけないね、本当に…肝に銘じます…)

そもそも私は、noteを読んでくれた人は想像つくと思いますが、Fラン陸の孤島大学に通っています。「非難」を「非なん」と書いたり、図書館のAVコーナーをそういうコーナーだと思ったり、"てにをは"がうまく使えなかったりする人たちが多くいます。びっくりでしょ

そんな大学にまさか、自分と似たような性質の人がいるなんて思わなくて、

たぶん、私はいま、人生初のまともな恋というのを自覚しています


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