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都合のいい死

Twitterでたまたまこんな言葉を見かけた。
「日本人って生きてる人にめちゃくちゃ厳しいのに、死んだ途端にめちゃくちゃ優しくなるよな」
友人が亡くなった時のことを思い出して、その通りだなと感じた。

昔好きだったお店が来月、閉店すると聞くと殺到する人々。

すっかり忘れていた著名人の訃報に、ずっと好きだったと表明する人々。

なんだか似ていると思った。

終わりよければ全てよし。
なんだか分かる。
ほっとする。
色々あったけど、終わった。
それだけで許された気がする。
解放された気がする。

あるいは最後の晩餐のようなものか。
明日死ぬんだから良いもの食わしてやろう。
あるいは手向けの花か。
最後くらい、綺麗な花で囲ってやろう。

皆、その後も生きていく自分のためなのに
あたかも相手へ何か贈っているつもりなんだ。

それが私は許せなかった、きっと。

できるだけ、今を見つめようと思う。
今あるものごとが、今生きている人が
なくなる、時を
想像する。
まだそこにあってほしいなら。優しくしたいなら。伝えたいことがあるのなら。
できるだけ今、とどける。
それに気付けるように、時々、終わりを探す。死のにおいを嗅ぐ。

そして花を手向ける時は。
私自身のために。
それを嫌というほど意識する。

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