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入院で数ヶ月外出できなかった、6歳頃の話 〜降ってきた不条理と性格形成をぼんやり考える〜

御茶ノ水駅に降り立つたび、6歳の頃を思い出す。病気で入院していて、イチゴミルクやミスタードーナツに手が届かなかった、あの頃のこと。

私には「先天性総胆管拡張症」という生まれつきの病があって、判明したのは5、6歳くらいの頃だったと思う。よく「お腹が痛い」と訴えては、夜間救急に運び込まれていた。当時父が乗っていた、紺色のフォルクスワーゲンの後部座席に寝っ転がって、夜の明かりを眺めながら運ばれていたのを覚えている。大体は下剤を入れられて、診察室の端っこのトイレに連れて行かれ、そのあと自宅に返されていたのも覚えている。

不審に思った母が精密検査を求めたことで、私の病気は発覚した。生まれつき通常より太かった私の胆管は、十二指腸に流れ込む消化液を逆流させており、内臓は荒らされていたのだった(タンパク質だから溶けるんだな)。もちろん内臓は傷むし、放っておけばがんにもなる。気がついたら入院していた。ここのプロセスは全然覚えていない。

当時通っていた大阪の病院に「手術をやらせてください」とは言われていたものの、そこでは私の前に症例はなかった。心配した伯母が一生懸命、名医を探して繋いでくれて、東京は御茶ノ水にある大学病院に転院することができた。担当のM先生は豪快なおじさんで、一日がかりの手術によって私は胆のうを切除し、数ヶ月の入院を経て退院、大阪に戻って、やっと6、7月くらいから小学校1年生として通えるようになった。同級生より入学が遅かったから、学校生活の基本が分からず、よくトンチンカンな行動で恥ずかしい思いをした。

入院中は絶食していて、いつも点滴を引きずっていた。大体一日ベッドの上で、伯母や従姉兄がくれたぬいぐるみを眺めたり、ゲームNGな母が唯一私に許したゲーム「みんなのたぁ坊 〜まいごのまいごのヒヨコさん〜」をやってみたり(一度もクリアできなかった)、リリアン(懐かしい)やったりフェルトでマスコットを作ったり、妹に手紙を書いたりしていた。4人だか6人だか、同じ年代の子どもたちが集まっていた病室で、周りは一日三食食べていたのに私は何も食べられなかったあの期間について、一体私がどう心の折り合いを付けていたのか、そういう何だか大事そうなことは覚えていない。ただ、「我慢強い」とよく言われ、自分の不満を表になかなか出さない不器用な私の基礎は、ここでできているように思う。確かに不器用ではあるけれど、過去の自分はそうやって自分を管理して乗り切ったのだった。これはこれで偉業だ。

嬉しかったのは、本がいつも身の回りにあったこと。病院の中の図書コーナーで、「人体の不思議」みたいな漫画を読んでいたから、ジュウニシチョウは指を12本並べた長さだから12なのだ、みたいな謎のトリビアを集めては記憶していた。外の世界や、内なる世界の手がかりだったのだ。入院していなかったら多分、本好きにはならなかった。私の子ども時代、母は好きなだけ本を買ってくれたので感謝している。

* * *

ブックチャレンジなるバトンで、本を(文庫本に絞って)7冊一気に並べながら、そんな過去の話を思い出してしまった。そして、本というよりは、本に救ってもらった過去の自分のことについて、書いてみたくなった。

(このあたりは自分の血肉になった本だと思っている。エンデは何度一緒に海外旅行・出張に出たか分からない。)

いま振り返って思うのは、子どもは案外、色々なことを覚えているし、環境の影響を多分に受けるのだ、ということだ。5、6歳の私の入院体験と同じように、今年のコロナ騒動も、きっと彼らの記憶にうっすらと残るのだろう。性格形成にも、影響を与えるのだと思う。

でも、「これまで普通だったものが無い/できない」ことそのものが、子どもや子どもの未来を殺すことにはならないのではないか、と経験から思う。大事なのは、外に行くことができなかったとしても自分の外側や内側を開拓できる何か、できれば没頭できる何かが在ること。そして、寄り添ってくれる家族がいることだと思う。そうすれば、目には見えなくても根っこは伸びるように、私には思われる。(もちろん、勉強については絶対に、個々の状況に合わせたケアが必要だ。私はチャ●ンジを取り寄せて追いついていた。ありがとう●ネッセ。)

35歳になった私は今、降って湧いたこの異常な環境の中で、3児の育児と仕事の両立に頭を抱えている。4月頭から、子どもたちは保育園の友達と一緒に遊ぶことができなくなってしまった。あれだけ好きだった公園の遊具で思い切り遊ぶこともできない。

でも、5歳の長女は、私ほどには本は読まないけれど、絵を描くのがとにかく好きだ。2歳の双子の片割れは、なんだか熱心に本を読んでいる。色々なことをバランスよく提供することはできないけれど、こういう種に、今は水をあげるようにしたい。(だいじょうぶ、数ヶ月ベッドの上にいた私だって、そんなに悪い大人には育っていない。当時はガリガリだったけど、運動は人並みにできるようにもなった。)

別に、芸術家や読書家にならなくたっていい。いつか、あなたたちの力になりますように。私にとっての本と、同じように。

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