悪病避けのおまじない
世間では、未だにコロナ騒動が続いている。まだまだアマビエさんがご活躍の様子だ。正体のわからない「疫病」や様々な「病気」に対抗するため、昔の人が信じてきた「俗信」にはとても興味深いものがたくさんある。アマビエさんもその1つというわけだ。
もう一度、アマビエについておさらいしておく。
ウィキペディアによると、肥後国(熊本県)で夜ごとに海で光りものが起こったため、土地の役人が赴いたところ、アマビエと名乗るものが出現し「当年より六ヶ月の間、諸国で豊作が続く。しかし同時に疫病が流行するから、私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰っていったとされる。江戸時代後期に制作されたと見られる瓦版の記事だそうだ。原文は以下。
肥後国海中え毎夜光物出ル所之役人行
見るニづの如く者現ス私ハ海中ニ住アマビヱト申
者也当年より六ヶ年之間諸国豊作也併
病流行早々私シ写シ人々二見せ候得と
申て海中へ入けり右ハ写シ役人より江戸え
申来ル写也
弘化三年四月中旬
海上よりやってきて先に起こるの疫病を予言し、自らの姿を描き写すと疫病除けになると告げるアマビエは妖怪というより来訪神という印象だ。アマビエではく「アマビコ(=天彦)」という説もある。
他にも、肥前国の「神社姫」がいる。神社姫は顔が人間で体は魚の妖怪で「我は龍宮よりの使者、神社姫である。向こう七年は豊作だが、その後コロリという病(コレラ)が流行る。しかし我の写し絵を見ればその難を逃れることができ、更に長寿を得るだろう」と語ったという。肥後国の「山童」は三本足の毛だらけの妖怪。「今年から五年間は五穀豊穣だが、悪い病気が流行して多くの人が死ぬ、我が姿を見る者は病をまぬがれて長寿になる」と告げたという。こちらは海ではなく山に現れたそうだ。この3件は海や山など人の住む世界を超えた場所からやってきた不思議なものが、疫病を予言し民を守る伝承である。他には、顔が人間で体が牛の「件(くだん)」はアマビエより有名なのでご存知の方も多いと思う。牛から生まれて人語を話す妖怪だ。生まれて数日で死ぬが、その間に作物の豊凶や流行病、旱魃、戦争など凶事を予言し、凶事が終わると死ぬともいわれたという。
疫病から人を守ってくれる妖怪の伝承だが、疫病だけでなく豊作など良いことと凶作や戦争など凶事とセットになっていたり複雑な要素を持つところがも興味深い。暮らしの中で起こる「予測不可能、理解不可能」な災難に対し、私達にはその理由を説明するものが必要になる。アマビエや神社姫や件は、これに応えるものとして伝承されてきたのだろう。彼らが投影の受け皿になってくれることで、不可解な事態でもなんとなく了解することができる。
特別な疫病でなくても、たくさんのおまじないがある。
流行病が起こったときは、杉の葉と葦(ヨシ)を戸口に吊るしたり、洗い場に置く。または杉とヨシの絵を描いた紙を置く。これは流行病が「過ぎたよしよし」の語呂合わせだという。過ぎたと明言することで本当に禍を避けると考えるおまじないだ。(福島県・宮城県)
南天(ナンテン)の木を庭に植えると災難を逃れる。「難を転ずる」の語呂合わせになるからだ。(全国)
草にまつわる俗信も興味深い。草はただクサとだけで種類は特に限定していない。三種類の草を一緒に揉んで傷口につけると血が止まる。(東北、東海、関東の広範囲)揉んでつけると同時に唱えごとをするところもあるそうだ。「父の血の道、母の血の道、父の血の道血の道止まれ、ナムアビラウンケンソワカ」。瘡(クサ)ができたときには、患部をなでた草を牛・馬に食わせ、また草神さんに草を一荷供えると治る。(奈良)
植物の俗信には和漢のような民間治療も含まれているのだが、草は限りなくおまじないに近い。三という数字も象徴的で呪術的だと思う。怪我や病気に対して、自然の不思議な力が効力を発揮すると信じられていたのだろう。
「ヨウカゾウ」もよく知られている。12月8日と2月8日をヨウカゾウという。12月8日には一つ目小僧が来て、履物にはんこを押すといわれる。はんこを押された履物を履くと風邪をひく。この日は、はんこを押されないように履物は片付け、片方を屋根の上にあげる。家の戸口に竿の先に大きな目籠をつけたものを高く掲げておく。屋根の上の履物ははんこが押されているので、過ぎたら肥溜めに捨てる。12月8日の晩にやってきた一つ目小僧は、しつけの悪い家の名前を帳面に書き、その土地の道祖神に帳面を預けて2月8日に取りに来る。そのとき、「1月14日の晩に大火事があって帳面が燃えてしまった」と言われ、がっかりして帰っていく。1月14日に燃やすのは「塞の神」だ。昔から村のハズレの境界に道祖神を立てて様々な厄災が村に入って来ないように守ってもらう信仰がある。道祖神とは塞の神さんのことで、ただの石ころが祀られていることもあればおじいさんとおばあさんのカップルの像であることもある。塞の神の祭りは、七草粥が過ぎたら藁で大きな円錐形の小屋を作り、1月14日まで中に塞の神の石を祀り、餅を焼いたりして遊ぶ。小屋は最後に燃やす。(東京都多摩市馬引沢・全国)
一つ目小僧も、ある意味、疫病を予感させる神として登場する。これを知っている人間は先回りして呪物である竹で編まれた目籠(網目が五芒星に見える)を立て、はんこを押された履物は捨てて、帳面も焼いてしまい災難を未然に防ぐ。塞の神の藁の小屋は、すべての災難や悪病などを引き受けて身代わりとなって燃えていくのではないだろうか。(身代わりは燃やすパターンの他に、海や川に流すタイプもある)
身代わりといえば、お坊さんの話もある。小山町方所にある福正寺観音堂の石段の登り口、向かって左の褄に昔から「お茶坊様」という愛称で呼ばれてきた無縫塔(お墓)がある。このお墓の智海法師が在世中の安政八年(1779)には、小山から相原地方にかけて「流行り風邪」が流行し、村人は非常に難渋した。このときに智海法師は、これはどうも自分が入定して救ってあげる他ないと決心した。そこで智海は墓を掘らせ、自らは棺の中に入って蓋をさせ、その中で鉦(しょう)を叩きながら往生した。智海法師は「私が死んだあとはお茶をあげてくれ」と遺言した。それ以来、村の人々は風を引いたときに治るように願を掛け、治るとお礼にお茶を供えるようになった。それで智海法師を「お茶坊様」と呼ぶようになったという。(東京都町田市)
流行り風邪に心を痛めた法師が自らを犠牲にして人々を守った言い伝えである。おそらく中世から江戸時代にかけて、僧侶は人知を超えた存在で呪力があると考えられていた。僧侶が入定することで病を引き受けて消失させた物語が生まれたのもよく分かる。物語の中でスケープゴートを作り出す必要もあったのかもしれない。
昔の人は、こうした伝承や俗信に心を投影することで、様々な問題を解決してきたと考えられる。ところが今はどうだろう。コロナウィルス自体、正体がわからず自然に生まれたものかどうかもわからない。政府の対応も国民を守るどころか、意味のないアベノマスクに多額の税金を使ったり、コロナに乗じて中抜きしたり、エビデンスのない状態での緊急事態宣言で自粛を要請されながら補償も薄く、厄災というより「人災」の色が日に日に濃くなっていく。これでは異界の神が顕れるとは思えない。また都市部では塞の神の祀りもなくなり境界からは魔物が自由に行き来できるようになったのかもしれない。地方では、コロナ感染者の差別ばかりが凄まじくなり、これを浄化する神がいないように思う。人々の不安と恐怖を和らげるクッションになるものがないためにコロナにかかった人がスケープゴードにされるのではないだろうか。これについては、コロナがさして害のないものであろうと、架空のウィルスであろうと問題ではない。ここまでコロナに対する恐怖がエスカレートしてしまった今、コロナの無害さやテレビの嘘の報道を説くだけでなく、昔の伝承に心を寄せることや、おまじないというクッションを楽しむことも有効なのではないだろうか。そう考えると、アマビエさんがたくさんのキャラクターになったりしたのはよい現象だったと思うのだ。
2020.7.23 なかひら まい
参考文献
アマビエ他 https://ja.wikipedia.org/wiki/アマビエ
件 https://ja.wikipedia.org/wiki/件
『魔除けの民俗学』家・道具・災害の俗信 常光徹(角川選書)
『日本俗信辞典 植物編』鈴木棠三(角川ソフィア文庫)
『多摩市馬引沢のサイノカミ行事』多摩くらしの調査団 民俗調査報告書第一週(パルテノン多摩・公益法人多摩市文化復興財団)
『町田市の民話と伝承』町田市文化財保護審議会編(町田市教育委員会)
※なかひらまい最新作
『貝がらの森』作・絵
毎日新聞大阪本社版連載童話
http://studiomog.ne.jp/kaigara.html
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