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頑張り過ぎて自分に疲れてしまうとき


Yes, to me being me
"本当のわたしを生きよう"

東京の吉祥寺にある
小さなプライベートサロン
mebeme(ミービーミー)の
永松麻衣(ながまつまい)です


言葉って面白いよね。

言葉の意味と
言葉の音が与える印象と。

共通認識としての言葉の意味はあるけれど

同じ言葉を聞いた時、見た時に
100人中100人が
全くおんなじ感度で認識して
理解することって
難しいんじゃないかな。

それでね、
今日は"頑張る"って言葉について。

頑張るって言葉を聞いた時
あなたの内側はどんな反応をしますか?

わたしは普段から
意識的にあまり"頑張る"って言葉を
使わないようにしてる

別の言葉に置き換えたりする。

例えば、
今日もベストを尽くせますようにとか
最善の選択ができますようにとか。

頑張るってことばの響きが
ちょっと苦手なんだと思うのです。

その言葉の振動が
身体をちょびっと硬らせる。
(あくまでもわたし個人の感覚)

わたしが"頑張る"という
その言葉に反応してしまうのは

わたしの内側に何かがあるから。

それはね、
わたしがその言葉を使わないようにしていても
結果的に頑張っているから。

頑張ることが善だとか悪だとか
好きだとか嫌いだとか言ってるんじゃないよ。

わたし真面目なんですね。
クソがつくほど。

だからなんでも真面目にやりすぎるんですよ。
言い換えたら完璧主義というか。

それが原因の一つだと思うんです。

自分の事になると
急に真面目スイッチが入って
ちゃんとやらなきゃ
ちゃんとやろう

っていうクソ真面目麻衣ちゃんが
無意識に顔を見て出すんです。

自分の完璧主義さの部分や
0か100か
白か黒かって部分は

だいぶほぐれてきているのだけど、

まだ在る。
残っている。

なかなかしぶといね笑

ちなみに付け加えると
その真面目な部分を消したいとか無くしてやろうと言ってるわけではないです。

あくまでもそのクソ真面目なわたしも
わたしの大事な一部だから
そんなわたしが苦手とする一部とも
手を取り合って
仲良くしようねってのが
大前提。

えっと、
わたしは何を書きたかったんだっけか。
話を戻しますね。

頑張るよりも前に
楽しむを先にもってきたいよねって思うのですね。

それがなかなか難しいのです。
わたしはね。

頑張ることが出過ぎてしまうと、
わたしはすぐに楽しむ事を忘れてしまう。

自分が楽しいって感覚を押し殺してまで
目の前の任務を完璧に遂行してしまう

無意識の癖がとても根強く残っている。
ってこと。

だからね、

頑張りすぎるからね
無意識に頑張りすぎるから
苦しくなるんだと思う。

プツンと切れてしまう。

自分の感情を押し殺していることにも
気づかないくらい
真面目にやることに集中してしまう。

何度も何度もわたしは
無意識に頑張り過ぎては
プツンと切れてを繰り返してきたし

多分これからも
もしかしたら切れるかもしれない。

先のことは誰にも分からない。

だから毎回トライアンドエラーを繰り返して
自分で自分を育てて
自分を磨くこと。

行動する事に意味があるから。

何度も失敗して
他の人より遠回りに思うかもしれないけど

失敗は成功のもとって言うように
失敗した数だけ
自分の経験値になり糧となり

人としての味わいや深みや奥行きが
出るんじゃないかな。

でもね、
そういう自分に疲れてしまうときって
あると思う。

自分を投げ出したくなったり
諦めたくなったり

そしてそんな自分を責めては
の繰り返しのループ

過去のわたしはそんなこと
沢山繰り返してきた。

やめたくなったら
辞めてみたらいいと思う。

投げ出したくなったら
投げ出していいと思う。

これは綺麗事とかお世話とかじゃない。

だってその当時のわたし
本当に苦しかった。

相談してもその苦しさからは
解放されてることはなかったし

外に答えを探しても答えは見つからなかった。

答えは自分の内側にあるって
頭で理解はしていても

そのやり方は分からなかった。

じゃあどうしたらいいんだろう?
その答えを教えられるなら
ここに全て書きたいけど

その答えはやっぱり
自分で見つける以外ないのです。

やってみなきゃ分からない
やってみなきゃ始まらない

誰かが成功だと言ったことが本当に成功なのか
誰かが失敗だと言ったことが本当に失敗なのか

すべては自分の体験と経験ありき

やってきたことしか語れないし
説得力は生まれない

全部やって
失敗もするから
次のステップが分かる

失敗恐れてたら
何も始まらない 

失敗と思っていることが
本当に失敗かどうかなんて
分からないよ。

そして、

諦めた自分を
苦しんでる自分を
嫌いな自分を
投げ出したい自分を

責めて卑下する必要は一切ないと思う。

だってその自分も含めて
自分自身を構成する一部なのだから。

どんなわたしもわたしなのです。

自分が自分を認めてあげるところから。

わたしがわたしと仲良くあくしゅ。

今はできなくても
絶対できる日が来る。

わたしにできたから
絶対できる。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

らぶ&はぐ


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