「詩が書けましたから」

前回は、どのようにして私が声をだすことのおもしろさに気づいたかという話を綴った。

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そうして、私はヴォイストレーニングをはじめた。

2016年4月だった。私はNYの出張から戻ってきたばかりで、日本の春の香りに背中を押されるように新しい事をはじめてみようと思ったのかもしれない。

最初のヴォイストレーニングを受けてから数日後、私はその年ネパールを一緒に旅した、映画監督の中川龍太郎と写真家の阿部裕介と一緒にトークイベントを開催した。

彼らとは、2週間程ネパールの首都カトマンズと、日本人はほとんど行くことのないダンガディ州などを訪れた。私は彼らと一緒になにかネパールで、映像作品を作りたいと思っていた。作品作りは具体的に進むことはなかったけれど、ネパールにいる間に龍太郎が、「音楽はこの人に頼みたいと思っている人がいるんすよ」といっていたことを覚えている。ネパールから帰国後、2ヶ月が過ぎたころ、彼らとの旅を振りかえるトークイベントを開きたいと思い、代官山のポップアップショップ期間中に開催した。

イベントには中川組の俳優陣、阿部ちゃんの所属する会社のマネージャーや被写体となったモデルなど、個性的で一癖も二癖もある人たちが集っていたと思う。会場はキャパシティを越えて70名程が集まり、ものすごい熱気だった。私もその日は、参加してくれた人の熱を感じていつもより饒舌だったと記憶している。イベント終了後も会場はオープンにして、来場者にご挨拶をしたり、短い立ち話を重ねた。その中に酒本信太がいた。龍太郎が「麻衣さんに、音楽はこの人に頼みたいっていう人がいるっていいましたよね。彼がその人です。酒本信太。」と紹介された。

彼はネパールが好きそうだった。なんの根拠もないのに、それだけははっきり感じて、私は一言目から「ネパールに行きませんか?」と聞いていた。酒本さんも間髪入れずに「いきます」と答えていた。

兎にも角にも、その会場はものすごい人で、熱気で、私はたくさんの人と少しずつ話し、翌日もイベントを控えていたので、会場をクローズしたあとはさっさと家に帰ってお風呂に入って眠った。

一週間のポップアップショップ期間が終了して2,3日が過ぎたころ、私はふと(あ。そういえば龍太郎が紹介してくれた酒本さん、本当にネパールにくるかな)と思い出し、もらった名刺にメールを送ってみた。「ネパール旅のミーティングでもしませんか?」と。すぐにお返事が返ってきて、ちょうど龍太郎と阿部ちゃんとのトークイベントの一週間後に、もう一度会うことが決まった。

朝の9時に六本木のカフェでミーティングの運びとなった。私は(ブレックファーストミーティングだなんて、この人本当に忙しい方なんだわ)と思った。これまで朝ごはんのミーティングをしたことのある人といったら、大企業社長とか、忙しそうな人ばかりだったから。

忙しい中、時間を作ってくれたんだから、ぜったいに遅刻とかしないようにしなくちゃ。と、思った事を覚えている。

当日の朝、iPhoneの振動で目を覚ますと、9時20分だった。見知らぬ番号だったが、出ると酒本さんからの電話だった。「麻衣さん、いらっしゃいますか?」と落ち着いた声。ちょっとこわい!「いま向かっています!すみません!」と布団のなかから言い放ち、私は電話を切るなり飛び起きた。歩いて行ける場所での待ち合わせだったので、油断した!

大変申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、部屋のクローゼットをあけた。そして、一番手前に引っかかっていた夏物のワンピースに、秋物のレインコートを羽織るというちぐはぐさに加えて、顔を水で洗いだだけの完全なすっぴんで外に飛び出した。全速力で走り、息をきらして六本木のカフェにたどり着いた。

お店に入ろうとすると、酒本さんから声がかかった。外で待っていてくれたなんて!さらに申し訳ない気持ちが募る。「すすすすみません!おそくなってしまって」時刻は9時40分をまわっていた。「大丈夫ですよ〜」と、本当に大丈夫そうな声。「いまちょうど麻衣さんのTEDスピーチをyoutubeでみていて、見終わったところですから。」という。ええー!なんと!こっぱずかしいです。ありがとうございます。

「それに、詩が書けましたから」

え!!!!

私は仰天した。「詩が書けましたから」とは!

酒本さんは優雅な手付きで、片手にiPadを載せている。

「ともかく、カフェに入りましょう」と促して中に入った。私はまだまだ恐縮している。「40分も遅刻するなんてほんとうに初めてのことです。すみません。すみません。お忙しいのに。ともかく、なにか食べましょう」酒本さんは、何やら大きなワッフルに果物やクリームが乗っかっているかわいいプレートをとった。私は全速力で走ったことと驚いたことで胃が縮んでしまった。バナナとベリーのスムージーでお腹と心を整える。

「あの、、その詩というのは、読んでもいいのですか?」

「はい、どうぞ」

すぐに手渡され、私は読み切った。なんだかすごく、嬉しい気持ちだった。

同じ景色を見ている、と感じた。

「この詩は曲になるのでしょうか?」

「やってみましょうか」

と言って、酒本さんは数日後「できましたよ」と連絡をくれたのだった。それがHOHOEMIというmaishintaの最初の曲となる。

と、その話をする前にこの日の事をもう少し書きたいと思う。

私はようやく申し訳ない気持ちから解き放たれて普通にお話ができるようになっていった。そして最近のおもしろいことについて質問をすると、酒本さんは「歌いはじめまして」と言う。

「え!私もです。歌というか、ヴォイストレーニングに行き始めて、声を出すことの面白さに気づきました」という話をすると、「東京にいると、なかなか発声練習ができるところもないですよね。地下鉄で、電車が来たときになる汽笛にあわせて「あー!」と声を出したりしているんですよ」と言う。私は自分の家がここから歩いて行ける距離にあって、シェアハウスで、広々したダイニングキッチンがあり、平日の昼間は誰もいないので、いくらでも声をだせることを伝えると、私達はいそいそとカフェをでて、うちのリビングに移動して、さらに話しはじめた。

酒本さんは、リビングで飛んだり跳ねたりしながら、声を出しまくっている。すこしすると、また椅子に座っておしゃべりをする。そんなかんじで私たちは午前9時40分に会って、夕方の6時まで遊んでいた。

忙しい人だと思っていたので大丈夫かしらと思いつつ、どこからどうみても大丈夫そう(たのしそう)なので、日が暮れるまで遊んでいた。5時頃お腹がすいてきたので、近くの蕎麦屋にいって鴨南蛮を食べた。私はその夜、ディナーの予定が入ってたので、6時にはさよならをした。ディナーに向かうために着替えをしながら、(今日は一日中すっぴんだったんだな)と気がついた。

酒本信太はその様にして私の人生に突如登場した。

ちょっと長くなってしまったので、本日はここまで。次回はこの日生まれたの詩が音楽になったときの話を綴りたいと思います。

本日もお読みいただき、ありがとうございます🌸

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IRIS SUN/向田麻衣のマガジン 「I'm singing!」
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歌うこと、暮らしに纏わる日々のエッセイや日記を時に文章、時に声で綴っています。素直な気持ちをこっそり耳打ちするような気持ちで。現在はラジオ…

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