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健さん(1)健さんのアパートのドアに血痕?ひとみの不安

佐藤ひとみは、朝早くから、全く落ち着きがない。
しきりに、父の良夫の顔を見ては、ため息をつく。

そんなことが続くものだから、ついに良夫が声をかけた。
「ひとみ、どうしたの?健君が気になるのかい?」

ひとみの顔は、途端に赤くなる。
「え・・・あ・・・はい、お父様・・・」
「健さんの部屋の灯りが、昨日はずっとつかなくて」
「もしかして、何かあったのかなあと」

良夫は、読んでいた新聞から、顔を上げた。
「スマホとか、連絡はつかないの?」
「心配なら見て来ればいいのに」
「隣のアパートで私が大家で、ひとみが管理人なんだから」

ひとみは、また顔が赤い。
「あ・・・スマホは・・・番号はお聞きしましたけれど・・・」
「恥ずかしくて・・・まだ・・・一度もかけたことはなく」
「お部屋ですか?それは・・・とても・・・」

良夫は、ついにため息をつく。
「あのね、ひとみ、ひとみも23歳」
「しかも健君は同じ大学の院の一つ上の先輩、今は我が同輩教授の弟子」
「隣のアパートにしても、6年も住んでもらっている」
「どうして声をかけるくらいで、そんなに緊張するの?」

ひとみは、父良夫に、それを言われると、実に弱い。
「そうは言われましても、健さんの前に出ると、もう声も裏返ってしまって」
「初めてお見かけした時から、何も変わらずで・・・どうしたらいいのか」

良夫は、頭を抱えた。
「あのね、ひとみ、ひとみはアパートの管理人なんだ」
「住んでいる人の様子も、邪魔にならない程度に把握しておかないと」
「それに健君の親御さんは、私とひとみの大恩人さ」
「それもあって、こちらからお願いして、健君にアパートに入ってもらったんだ」
「それも、こんな佃島、下町にだよ」

しかし、ひとみは、まだモジモジとしている。
「そうは言われますけれど・・・健さん、ファンが多くて・・・」
「お慕いしている方が多くて」
「私みたいな、丸っこい女でなくて、スタイルのいい人が・・・」
「昨日の夜は・・・万が一、その女性となんて・・・ああ・・・もう!」

良夫は、こんな娘との問答が面倒になった。
読んでいた新聞をテーブルに置き、居間を出る。

その父にひとみは、ホッとするような、焦るような、複雑な思い。
「あ・・・お父様、一緒に行ってくれるのですか?」
「あ!いえ、私が先に」
と、ようやく父良夫の前に出て、玄関を開ける。

さて、良夫は、玄関を出て、まず背伸び。
「ああ、いい空だねえ」
「隅田川に秋の風、そしてプーンと漂う佃煮の匂い」

今度は、ひとみが良夫に文句。
「お父様、焦らさないでください!」
「もう!健さんの部屋に行きましょう!」
「でも、チャイムをお願いします」
「私だと緊張して、二つが三つになりそうで」

背伸びも欠伸も中断された良夫は、再びため息。
「しょうがないなあ、これでは」
「ここまで箱入り娘に育てたつもりはないけれど」
と、足を進め、隣のアパート、目的の健の部屋の前に立つ。

そのまま、良夫がチャイムを鳴らそうとした時だった。

ひとみが、父良夫の袖を掴んだ。
「お父様・・・ドアに・・・血?血痕?」
「ここに・・・手の形?指の形・・・」

ひとみの声は、ひどく震えている。

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