維摩VS阿難

我が子喉羅にも維摩への見舞いを辞退されてしまった釈迦は、その十大弟子の中の多聞第一、つまり釈迦に従侍して多くを聞いていた阿難に維摩を見舞いに行くように指示をする。

しかし、その阿難も難色を示す。
阿難の言い分としては、

「かつて、師匠のお体の具合が少し悪かった時のことなのです」
「回復のためには、牛乳が必要でしたので、私は鉢を持って、大婆羅門の家の門の下に立っていました」
「そうしていると、あの維摩さんがやって来たのです」

「維摩さんは、私に問いかけてきました」
「あれ?阿難さん?どうしたんですか?こんなに朝早く、鉢を持って待っていらっしゃるとは?」

「私は言いました、」
「維摩さん、仏のお体の具合が悪いのです、それで牛乳が必要なのです」
「ですから、牛乳を供養して欲しくて、ここにいるのです」

「すると、維摩さんが言うんです」
「阿難さんなえ、その言い方はおかしいと思いますよ」
「よしなさい、そんな言い方をしてはなりません」
「如来の身体は、そもそも、金剛という最も堅くて、壊れたり汚れたりすることなどはないのです」
「諸々の悪は入り込む隙がなく、諸々の善が全て集まるお身体なのです」
「何の悩みも、有るわけがないと思いますよ」
「ですから、阿難さん、黙ってお帰りなさい」
「如来の価値を貶めるようなことを言わないように」
「外道をはじめとして、菩薩たちが、こんなことを聞くと、仏は馬鹿にされます」
「何が師匠です?」
「自らの病でさえ救うこともできない人が、他の人の病を救おうなどありえないではないかとね」

阿難は、そこでため息をつく。
「維摩さんの説法に押しまくられ、何の反論も出来ず、このように思っていました」
「私は、仏の近くにいながら、誤って聞いていたということは無かっただろうかと」

「すると、その時、その時、空中から声が聞こえました」

「阿難、維摩の言うことは、もっともである」
「しかし、仏とて、この五濁の世界に、衆生を救うために現れたのである」
「だから、阿難、牛乳を取れ」
「それを何も恥じることはない」

「このような経緯があって、その時は何とか牛乳を持って帰れましたけれど、次は自分でも自信がないのです」
「ですから、私は見舞いすることには、どうしても尻込みしてしまうのです」

さて、維摩にコテンパンに論破されていた阿難に聞こえた声は、天の声と言うよりは、普段から釈迦に聞いてきた言葉や考え方が、突然頭の中に響いてきたと考えるのが、妥当と思われる。

そして、維摩としては、汚れも壊れもしない完全性を阿難に言いながらも、本当は阿難に、「仏も人の世で生き、苦しんでいる」と、実は言わせたかったのだと思う。
それだから、維摩は執拗に「仏の完全性」を執拗に述べている。
執拗に述べれば述べるほど、「人の世で生きる仏」も、阿難であれば、その答えを導き出せると信じての、追求であったと思う。

いささか、難しい論題なので、参考として徒然草第百十七段「法顕三蔵の、天竺に渡りて」を現代語訳してみる。

三蔵法師が、天竺に滞在中に、故郷の扇を見ては愛しく思い、体調を崩した時には中国風の食事を願ったという故事がある。
それを聞いた人が、
「あれほどの素晴らしい人が、そんなに弱気な様子を、他国で見せてしまうとは」
と言ったところ、弘融僧都は、
「実に人間味あふれる三蔵法師様ではないか」と言った。
法師の意見としては異論があるだろうけれど、奥深い意見と思われる。

つまり、「法師らしく、全てに執着しない」つまり旅先の天竺で、故郷の扇や食事になど、心を動かすべきではない、そんな弱気を他国の人に見せるべきでないとのの考え方は、見栄や体裁にこだわる執着そのもの。
艱難辛苦を乗り越え、ようやく到着した天竺で、故郷中国の扇、その中に書かれた中国の風景や物、人が書かれてれば、悲しいほど愛しく思って当然ではないか。
馴れない気候や食事で体調を崩せば、故郷の食事を摂りたいと思うのも当然。
それを理解せず、「他国でそんな弱気を見せて恥ずかしい」など、とても人の心を持つ意見とは思えない。

維摩としては自分の「仏完全説」に反論できない阿難に、「本当の心」を思い出せと、厳しく迫ったのではないだろうか。

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