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一遍上人語録 南無阿弥陀仏には臨終もなく

南無阿弥陀仏には、臨終もなく、平生もなし。
三世常桓の法なり。
出る息いる息をまたざる故に、当身体の一念を臨終とさだむるなり。
しかれば、念々臨終なり、念々往生なり。

(意訳)
「南無阿弥陀仏」には、臨終や日常の生活という時間の観念がありません。
南無阿弥陀仏は過去・現在・未来全てを貫いているのです。
臨終などは、息をはいて、また息を吸う瞬間にも訪れることもあるということを考えれば、今現在の一瞬も臨終なのです。
そういうことなので、念仏を称える一瞬一瞬が臨終であり、極楽なのです。

一遍上人は、念仏を称え、「南無阿弥陀仏」の世界に包まれてしまえば、臨終の不安や苦しみは消えると語る。

いつ何時、どうなるのかわからない。
だから、常に臨終の気持ちで、南無阿弥陀仏を称える。
南無阿弥陀仏の世界に包まれて、目の前のことに接する。
もしかすると、「一期一会」につながる教えなのかもしれない。

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