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アルビジョワ十字軍②ミネルブ

アルビジョワ十字軍は、ベジェより小さな町のミネルブの町を包囲。
・十字軍の猛攻に耐えかねた領主ギヨーム・ド・ミネルブは開城を申し出た。
結局、領主と住民は助命し、住民中の異端帰依者は「母なる教会への帰参」を望むなら助命した。
異端完徳者も、悔悛すれば助命した。
ただし、悔悛者はとんど無く、完徳者140人は、自ら進んで火の中に入り、生きながら焼け死んだ。
・しかし、アルビジョア十字軍のローマ教会側の領導士、であるシトー派修道院長アルノーは、はなはだ不本意(不愉快)であった。
「キリストの敵は皆殺しにしたいと、熱心に願っていた」
「修道僧でもあり、司祭でもある身が、皆殺しにせよとは、言い辛かった」

異端掃蕩の使命感と、虐殺嗜好が、教会や十字軍の一部にあったのは、確かとする学者もいるが、虐殺は「好むべきもの」なのだろうか。

「敵とみなせば、無差別に殺す」
現代でも消えていない思想である。

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