見出し画像

健さん(5)

健の写真を撮り終えた警察官が、質問を始めた。
「健君、圭子さんが、危ないと思った?」

「はい、大学からの帰り道で、遠目に見て」
「最初は圭子さんとはわからなかったけれど、どうも変な連中から逃げている感じで」
「刃物が光ったから、これは危ないと」
警察官
「圭子さんでなくても、割って入った?」

「そんなことは、当たり前でしょう、人として」
警察官
「どうして反撃しなかった?正当防衛になるけれど」

「いや、その程度に自信が無くて、反撃はできると思ったけれど」
「相手の急所に当てない自信が無くて」
「こんな夜に怪我人も出したく無くて」
警察官
「もし、通りがかりの人が無かったら、もっと酷い怪我になるよ、打たれて蹴られているだけだから」

「いや、もう途中から痛くて、耐えるだけに」
警察官は、そこで聴取を終えた。
「健君、動けそうにないしさ、後で調書を作って持って来るよ」
「それに署名と捺印して欲しい」
「事件が全部片付いたら・・・表彰物かな」
健は、それには困ったような顔。
「いや、恥ずかしい、手酷くやられて、表彰なんて」
「それと、俺は人前に出ることは苦手で、勘弁してください」

高橋医師が警察官に尋ねた。
「じゃあ、健君の着替えは、もういいかね?」
警察官は、笑顔で即答。
「はい、男前の健君を、そんな血だらけの服にしてはおけないんで」

警察官がアパートを出た後、健は、全員に頭を下げた。
「こんなむさ苦しい部屋で、その上、汚らしい身体を見せるわけにはいきません」
「お引き取りください」
「本当にご心配とご迷惑をお掛け致しました」

この健の態度には、まず圭子が困った。
「だめだよ、健君、着替えも持って来た」
「私を守るために、そんな怪我して、服も汚したの」
「恩返しの端くれでも、させてよ」

しかし、健は、ガンとして聞かない。
「いや、それは俺が困ります、そんな分を超えた御厚情などいりません」
「危なそうだったから、割って入っただけ、それが下手でこんな恥ずかしい姿になって」

話が進まないので、ひとみも、健に迫った。
「だめだよ、健さん、痛いんでしょ?腕が伸びるの?」
「まず、脱げる?その服が、血も汗も泥も、こびりついているよ」


結局、周囲が何と言っても、健は聞く耳を持たなかった。
「こんなみっともない俺を見に来てくれるだけでも、申し訳ない」
「ですから、着替えも結構、お持ち帰りください」
「男ですから、痛い思いをするのは、当たり前」

圭子が持って来たお重も受け取らない。
「そんな、高級料理、俺なんかが口にできる道理はありません」
「皆様で召し上がってください、ご足労いただいたのに、何のお礼もできませんし」
「それに、口の中を切っているので、二、三日は、入っても水ぐらいかな」

とうとう、アパートから追い出されてしまった面々は、呆れるやら、不安やらで、なかなか落ち着かない。

佐藤良夫
「まあ、頑固者だなあ、子供の頃から」
ひとみ
「やせ我慢のし過ぎですって、人の気持ちも知らないで」
圭子
「まさか、あそこまでとは・・・いい男なんだけど、ガードが固過ぎだよ」

高橋医師は、やれやれと言った顔。
「まあ、女子二人に着替えさせられて、痛そうな顔をするのが、恥ずかしいんだ」
吉祥亭の主人は腕を組む。
「昔の・・・古い日本人の男だよ、江戸とか明治の・・・健君」
「人情には厚くて、我が身を犠牲に限界を超えても、まだ我慢」
「それでいて、目立つとか、人の世話になることを恥とする」

ただ、やはり健も、相当弱っていたらしい。
その日一日、健の部屋の灯りがつくことはなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?