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もしこの決断がなかったら

なるほど、生前の大老はとかくの評判のある人ではあったが、ただ、他人に真似のできなかったことが一つある。外国交渉のことにかけては、天朝の威をも畏(おそ)れず、各藩の意見のためにも動かされず、断然として和親通商を許した上で、それから上奏の手続きを執った。この一事は天地も容(い)れない大罪を犯したように評するものが多いけれども、もしこの決断がなかったら、日本国はどうなったろう。軽く見積もって蝦夷はもとより、対州(つしま)も壱岐(いき)も英米仏露の諸外国に割さき取られ、内地諸所の埠頭(ふとう)は随意に占領され、その上に背負(しょ)い切れないほどの重い償金を取られ、シナの道光(どうこう)時代の末のような姿になって、独立の体面はとても保たれなかったかもしれない。大老がこの至険至難をしのぎ切ったのは、この国にとっての大功と言わねばなるまい。こんなふうに言う人もあった。ともあれ、大老は徳川世襲伝来の精神をささえていた大極柱の倒れるように倒れて行った。  
 (夜明け前 島崎藤村)

天下の一大事にあたって、もちろん、短慮は危険極まりない。
しかし、時には井伊大老のような独断専行が功を成す場合もある。
いたずらに旧弊をありがたがり、世界情勢に対して思考停止した攘夷派の意見を気にして円満解決を求めていては、日本に起こりうる危険に、間に合わないと、井伊大老は、決断したのではないか。

この「いざ」という時の決断力も、政治家や経営者には、欠かせない資質。
果たして、現代の政治家と経営者が、どれほど、井伊大老のような決断力を持っているだろうか。

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