維摩の考え

維摩は、最後に自分の考えをまとめた。

「生死の中で、汚れることがない」
「涅槃の中にあっても、涅槃に入らない」
「それを菩薩の行と言う」
「凡夫の行は堕落、賢聖の行は自分一人高潔と言うけれど、どちらも支持しない」
「菩薩の行は、ただ一人清潔であることを誇らず、苦しむ他者を助けること」

つまり、どんな汚泥にまみれていても、命も心も、本来は汚れるものなどない。
そもそも、人間は汚れを嫌っていては、どの人も暮らしていけないし、その中でなお、生きていかなければならない。
その意味で、維摩が嫌ったのは、自分だけが悟りを開いたと安全な場所に引きこもり、苦しむ他者を助けるどころか、傲慢にも見下す態度だった。

仏弟子と言いながら、お布施を呆れるほど受け取り、優雅な生活を送るだけ。
それでいて、お布施を差し出した苦しむ人々は、汚れるといって見向きもしない。
釈迦の時代にも、そんな僧侶が多かったのだろう。
維摩の考えは、偉ぶる僧侶たちへの、重い警句である。

また、今の仏教界は、実に葬式仏教でしかない。
葬式と法事と寺や僧侶の衣服には金を強圧気味に要求するだけ。
だから、僧侶に人生について相談する人など、滅多に聞くことがない。

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