紫式部日記第74話その次の間の東の柱もとに、右大将寄りて、

(原文)
その次の間の東の柱もとに、右大将寄りて、衣の褄、袖口かぞへたまへるけしき、人よりことなり。酔ひのまぎれをあなづりきこえ、また誰れとかはなど思ひはべりて、はかなきことども言ふに、いみじくざれ今めく人よりも、けにいと恥づかしげにこそおはすべかめりしか。盃の順の来るを、大将はおぢたまへど、例のことなしびの、「千歳万代」にて過ぎぬ。

※右大将:正二位藤原実資。当時52歳。
※盃の順:盃が回って来たら、お祝いの歌などを披露しなければならなかった。
実資はその類のことが苦手だったらしい。
※「千歳万代」:神楽歌の一節とされている。

(舞夢訳)
その次の間の東の柱元では、右大将様が柱に寄りかかり、女房たちの衣の褄や袖口の様子を注意深く見ています。その様子は、他の人とは明らかに違っています。
(私:紫式部)は酔い乱れた人が多い雰囲気に混じっていること、そもそも私のことなど誰ともわからないだろうと考えて、右大将様に少しだけお声をかけて見ました。
すると右大将様様は、いかにも当世風の(軽い)人ではなく、しっかりとした信念を持ったご立派な方でありました。
盃の順番が回って来るのを右大将様は嫌がっており、その身を引き気味でありましたけれど、(それでも順番が回って来てしまい)、結局、いつもの定番で安全な「千歳万代」で、何事もないかのごとく、やり過ごしてしまいました。

慎重な紫式部から声をかけるほどの人物藤原実資は、道長に対して実は批判的な人とされている。ただ、この日記では、その雰囲気は感じられない。(まさかめでたい限りの祝宴の日に本心を漏らすはずはない)
酔い乱れてしまう人が多い中「自分自身を失わない人」「馬鹿げたことや道長への御追従をしない人」「上手に無難に振舞う人」である藤原実資に、紫式部も何か「共感」を覚えていたのかもしれない。

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