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枕草子 生ひ先なく(女性の就職論)

清少納言先生:今日は、女性の就職論です。
舞夢    :はい、それでは現代語訳して見ます。

将来への展望もなく、目の前の幸せだけを大事にして暮らしている女性などは、見ていると理解しがたいし、軽蔑もしたくなります。
先々のことまで考えると、それなりの幸福をつかむことのできるような家柄の娘さんは、しっかりと宮仕えをさせて、世間の様々なことを経験させてみたいし、典侍などの地位をしばらくは、勤めてもらいたいと思うのです。
そういう宮仕えをする女性に対して、宮仕え自体を軽々しくつまらないことなどと、言ったり思ったりする男の人は、本当に憎らしくなります。
事実として、本当に納得できることなのですよ。
言葉に出すのも恐れ多い帝をはじめとして、上達部、殿上人、五位、四位は当然で、宮仕えをしているからこそ、ほとんどの人を見ることができると思うのです。
まずは女房の従者、その女房の実家から訪ねて来る者、長女(おさめ)、御厠人の従者、とるに足りない者にいたるまで、その人たちに対して、宮仕えする人が恥じたり隠れたりすることが、あったでしょうか。
逆に殿方のほうが、宮仕えをする女性に比べれば、多くの人に接する機会がないのです。
それでも、宮仕えをする男性なら、誰でも宮仕えをする女性と、同じように、様々な人を見ることができますけれどね。
第一夫人などの立場に収まって、大切にされている女性から見れば、宮仕えなどは奥ゆかしくないと思われるのも無理はないけれど、宮仕えをする女性が典侍などの地位について、時々参内するとか、賀茂の祭の使者行列に加えられて出かけることだって、面目を施すことが十分に出来るのです。
まあ、そういった宮仕えを経験してから、後で家庭に落ちつくのは、尚素晴らしいことです。
受領の家などで、五節の舞姫を献上する時などは、一度宮仕えの経験を持つ北の方などでしたら、万事心得ているし、田舎臭いような恥かしいようなことを他人には聞かないと思います。
そういう風に、宮仕えも、本当に奥ゆかしいものなのです。

清少納言先生:はい、お疲れさま。
舞夢    :娘を社会勉強させるとのことですね。
清少納言先生:うん、箱入り娘はだめです。世間がわからない、後で困る。
舞夢    :宮仕えを経験し、世間を広く知ったうえで家庭人になるべき
       と。
清少納言先生:諸般の知識も必要ですから。

清少納言の時代も、現代と似通った感性がある。
確かに、世間を知らない子供が有った場合、将来が思いやられるのは事実。
平安時代とて、一寸先は闇。
その中で、ある程度、諸般の知識を持っていることは、将来、自らの身を助けることにもなる。

女性に限らず「諸般の知識」を身につけることは、大切なことは間違いがない。
光源氏が、その長子夕霧を、あえて六位という低位から修行させたのも、勉学を積ませ「実力」をつけさせるためだった。

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