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今日の日曜日

なかなか進まない列の最後尾、千円札を両替機に差し込むタイミングで運転手さんに舌打ちされた。ほぼ初めて出会った誰かのお父さんに、昔男性の教師に怒られた記憶を解かれた。顔と香りに惑わされて関わるたびに、期待と幻想は蒸発していった。送ると言われた荷物はもう1年以上来ない。

かつては鰹節みたいな絶妙な透け感で削られていて、それをよく十勝バタースティック6本で補充した。今はもうどうでもよくなっている。

変えたいとか良くしたいとか価値とか成長とか、そういう意志をどうしても持たないのは、それらがただの思い上がりにすぎないと心得ているからだ。私たちはそんな意気込みに値するほどの生物なのだろうか。ただ生きて死ぬ、これがいわゆる“普通”で、誰かが死んだときに泣くのはたぶん文化に泣かされている。

とはいえ積み上げられた死体の写真を見ると身体は芯から震えて、自分との親和性からくるのか、やっぱり死ぬのを怖いと感じているんだなと確かめる。ちょっとほっとする。



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