りんちゃん落語家辞めたってよ
私はつい最近まで大学生だった。
いや「つい最近まで」という表現は語弊がある。しっかりと記述するのなら2020年3月まで、つまり今から約1年前までは映画館・美術館・雀荘などで絶大な効果を持つ学生証の所持が認められた大学生だった。
ということで私は社会人1年目の代にあたる。
社会人1年目というのは面白い。それまで「学生」という括りで色付けされていた同級生たちが、様々な職業につき、一人一人違ったベクトルで社会へと歩き出す。
商社マンになった人、銀行員になった人、新宿の百貨店で和菓子を売る販売員になった人など、私の周りでもたくさんの人があんなに好きだった学生証を捨て、社会へと飛び出していった。
そんな社会人1年目の友達の中に一人、落語家を目指した友人がいた。
彼の名は倫太郎。
大学の同級生で、周りからは「りんちゃん」と呼ばれ先輩からも後輩からも人気の(男だけに)面白いヤツだった。
酒が弱いのに酒好きで、先輩の家に集まって飲んだ時には酔った勢いでワインを床にぶちまけ、先輩にビンタされ号泣したり
お金がないのにパチンコ好きで、その月の生活費全額突っ込み、残り500円になったところで大当たりし、そのお金でキャッチに紹介された風俗にいったら騙されて3万円取られたり
絶対負けるのに麻雀好きで、徹夜で麻雀した後そのまま彼女とのデートに行き、喫茶店で爆睡してフラれたり
と友達としては最高な、女の子から見れば最低な男がりんちゃんだった。
そんなりんちゃんには夢があった。
落語家だ。
いつから好きなのかは知らないが子供の頃から落語が好きだったらしく、上京して大学に入る頃には「俺は絶対に落語家になる」と公言していた。
なんなら大学1年生の春。彼は入学するやいなや
「こんなとこで学生生活楽しんでも仕方ねえ」
と大学に来なくなり、自分が入門したいと思っていた師匠のもとへ弟子入りを志願しに行った。
しかしその師匠は
「せっかく親が通わせてくれたのだから、大学は通いなさい。卒業の見込みが立ったらまた話においで」
と山梨から根拠のない自信だけを持って出てきた少年に、師匠として、いや大人として正しい言葉をかけ、りんちゃんを学生へと戻した。
そうした経緯もありながら彼は大学生へと戻り、そんな中でも落語に対する想いは消えず
教室を借り机を並べて高座を作り、1~4年生を集めて落語を披露したり
素人の落語家ながらお笑いの劇場に出て、我々と一緒の舞台で一席披露したり
と学生生活を謳歌しながらも、大好きな落語に向けて着実に準備しながら4年間を過ごし昨年の1月に再び師匠の元へ足を運び、見事弟子入りの許可をもらったのだ。
そのことを報告したきたりんちゃんの嬉しそうな表情と言ったら
1時間勉強しないとゲームやらせてもらえない子が「今日は勉強しないで、何時間やってもいいよ」とお母さんに言われたくらい
いや
中学2年の夏。初めて好きな女の子と一緒に学校から帰り、その帰り道にある公園で告白し成功した時くらい
いや
配牌テンパイで、第一ツモでペン3ピンをツモって地和上がったときくらい
喜びが溢れた笑顔であった。
何よりやっとスタートラインに立って、落語家として舞台に上がるチャンスが近づいてきたのが嬉しくてたまらなかったのだろう。
こうして彼は子供の頃からの夢であった落語家への道へと歩み出したのであった。
そんな彼から電話があったのが2021年1月13日の夜。
私がネタの為にテレビ番組を調べていて、日本テレビで放送されていたドラマ「Dr.倫太郎」に目が止まり
「あ、Dr.倫太郎ってりんちゃんと全くおんなじ漢字なんだ〜」
と考えていたときに着信があった。嘘ではない。
出ると10秒ほど無言でりんちゃんから声をかけてくる様子が無い。
だから私は
「あ〜りんちゃん落語家やめたんでしょ〜」
といつものふざける感じで声をかけた。
実際りんちゃんは弟子入り後、過去にも何度か電話をしてきて
「もうやめるわ落語家。あんな環境やってらんない」
と愚痴をこぼしていた。
だがその度に私が笑いながら彼の苦労話を聞くとスッキリしてまた落語家としての生活に戻るのであった。
だがこの日は私が「やめたんでしょ〜」といった後彼から出た言葉は
「…辞〜め〜た笑」
最初はまたふざけているのだろうと思い、10分くらい「やっぱやめたんだ〜」と話に乗って会話していたが、りんちゃんの様子がいつもと違う。
「え?本当にやめたの?」
「だから辞めたって」
「えこれどっちボケ?」
「ボケじゃないって、本当に嫌になったから今日封筒に手紙と師匠のとこの鍵入れてポストに出したんだって。後から気付いたんだけど切手貼るの忘れてたわ」
着払いにするのがりんちゃんらしいなと思いながらも、私は驚きを隠せなかった。
その後なぜ辞めるまでの決断に至ったか話を聞くと、やはり落語家の世界は我々が想像する以上に厳しく、ひとつでもミスすればそのことに対し師匠から執拗に詰められ、精神的に辛くなるくらいいびられるらしい。
それが1年続いたら、さらにその後も続くと考えたら早めに決断してやめたのは良かったのかもしれない。
しかしりんちゃんが一番懸念していたのが親への報告だった。
なんせ大学生の頃から「俺は絶対落語家になる」と4年間言い続け、両親や周りの親族の反対がありながらも落語家の道を選んだのに1年足らずでやめてしまっては、フリが長すぎるお笑いになってしまう。
しかも最近になってやっと師匠から名前をもらい、客前での初高座も終え反対していた両親、親族たちも喜んでくれていた矢先にこの出来事。
「俺もう何も言いたくねえ。絶対母さんにヒステリックに怒られる。俺の母ちゃん怖いんだよ。はああ俺は今さ、怒られたくねえんだ。ただ優しく抱きしめて欲しいだけなんだ」
この言葉を聞いて爆笑してしまった私は不謹慎なのかもしれない。
「でも多分大丈夫だと思うよ?お母さんも息子がそんな辛い状況だったのならわかってくれるって」
「いや絶対怒られる。山梨に連れ戻される」
まあ実際落語家になるために東京にいたんだからもう東京にいる意味はない。
とりあえずこの日は1時間ほど彼の話に付き合い、後日友人宅でりんちゃんを励ます会を開くことを決め電話を切った。
そしてその電話から約1週間後。
大学時代の同級生の家にりんちゃん私を含め5人ほど集まり、少し高めの肉と業務用スーパーで買い込んだ安い酒を囲いながらりんちゃんの話をみんなで聞いた。
その中にはりんちゃんが落語を辞めたことを初めて知る者もいて、彼もまた私同様これが本当のことなのか疑いながら話を聞いていた。
落語という環境の異質さ
師弟制度という私たちに馴染みない関係性
そして師匠の厳しい教育
など聞けば聞くほど、りんちゃんの性格には全く合わないものだなと感じ、りんちゃんが落語を辞めたことに対し、落胆する者はおらず、むしろ早めに決断できて良かったとプラスに捉えられた。
何より電話した時とは見違えるほどりんちゃんの元気が良い。
そういえばあんだけ怖がっていた親への報告はどうなったのかと聞いたら
「やっぱさすが親だよね。俺が師匠のこととか、この話のことしたらさ『そんなヤツの鍵なんてぶん投げてやれば良かったのに』って言ってくれたんだよ」
ぶん投げるという表現の中にヒステリックさが残っているなと思いつつも、お母さんという存在は本当に大きいものだなと思った。
抱き締めるよりも自分の意見に同調してくれているこっちの方が遥かに安心する。
「絶対に怒られる」と不安がっていたが、むしろ心の支えとなっているあたり家族というもののあたたかさを感じた。
そして酒も進み、会の終盤になると学生時代同様りんちゃんイジりが。
「りんちゃんって今なんもねえってことだよね」
「4年かけて落語やるっていうフリ作って1年で回収した男」
「なんで東京いるの?帰りなよ〜」
と4人で様々な方向からの口撃をし、りんちゃんの反応を楽しむ。
それに対し彼も
「ぜってえ見とけよ。俺はいつか東京ドームの舞台に立ってやるんだからな」
これは大学生の頃から言っていたのだが、落語家で東京ドーム立つってなんなのだろう。むしろ今なんもねえのにどうやって立つんだろう。
まあとにかくりんちゃんが元気そうで良かったと会は終わり、私は友人と二人で家を出て電車に乗った。
「まありんちゃん辞めてよかったと思うけどこれからどうするんだろうね」
「ラップやるとか言ってたけど多分才能無いよなあ」
「大学生に戻るんじゃない?」
「実際あいつ大学大好きだったからなあ。二人追いかけて大学院行ったりして」
この日いたメンバーには大学院に進んだ友人たちもいた。
彼らを追いかけりんちゃんがもう一度学生証を取り戻しに行く日はそう遠くないかもしれない。
とにかくりんちゃんお疲れ様でした🙆♂️
これより下にはりんちゃんの作ったラップの音源があります。
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