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Thomas Mann"Der Tod in Venedig"高橋義孝訳「ヴェニスに死す」②

トーマス・マンと言ったらこの写真

 なんだか総督みたいで好きじゃなかったので、晩年に近い感じの画像を探してきて表紙にした。総督みたい・・なんて失礼なこと言ってごめんなさい!マン(1875~1955)はドイツの作家だが、ナチへの批判を続けて各国を転々とし最後はスイスで亡くなったのだ。
 高橋義孝が「ヴェニスに死す」を翻訳していた頃はまだ存命だったマン。不明な点はマンに直接書簡を送って問いただしたと後書きに書いてあった。うん、高橋先生を信頼しよう!

 さてやっと本の内容に取り掛かれる。

 「ヴェニスに死す」はマンがマーラーと知り合ったことがきっかけとされる。それは1910年のこと。マンはマーラーの交響曲8番を聴き、大変感銘を受けたそうだ。しかしマーラーは1911年に死去。その直後にヴェニスを旅行し、「ヴェニスに死す」を1912年に発表した。

 またまた横道それて、頭がマーラーのところへ吹っ飛んでった・・・。
この動画はドゥダメル様指揮の交響曲8番の第一部。いいわぁ♡


 さて、小説でアッシェンバッハは文学者という設定になっているが、モデルはマーラーだと言われている。
 なおヴィスコンティの「ヴェニスに死す」では、アッシェンバッハはマーラーと同じく音楽家という設定だ。テーマ音楽は交響曲8番ではなく5番。やはりマーラーだ。(うん8番では合わないね)

 映画のアッシェンバッハは既に地位と名声を手にしていたはずなのだが、自分が追及してきた芸術の道について苦悩し、ヴェニスへと旅立ったということになっていた。印象に残っているのは新曲を披露した際に観客からひどいブーイングを浴びたシーンだ。

 マンの原作では、文学者として確固たる地位を築き、国の教科書に作品が載せられるくらい評価されているのだが、自分が求めた芸術の道というものはそういうものだったのか・・という違和感に悩んでいる。それは、以下の部分からも読み取れる。

 ・・・前略・・・
 この不満ということは、若かった頃のアシェンバハが才能の本質でありかつその最も奥深い性状だと考えていたものであって、この不満の故にこそ彼は感情を制御し冷却してきたので、それというのも、呑気ないい加減なところで満足して完璧を狙わぬというのが感情というもの本来の傾向だと心得ていたからである。とすると、感情は今彼を見棄て、彼の芸術をそれ以上支えたり生気づけたりするのを拒み、型態と表現とにたいする一切の快感、一切のよろこびを持ち去ってしまうことによって、あの抑圧されていた感情が今や彼に復讐するというのであろうか。
 国民は彼の腕前を尊敬していたのに、しかし彼自身はそれをよろこんではいなかった
 時が経つにつれて、アシェンバハの作品中には何か官僚的で教育的なものが現れてきたし、・・・中略・・・模範的で固定したもの、みがきあげられた伝統的なもの、保守的なもの、形式的なもの、きまりきったものにさえ変化していった。
 そしてあるドイツの君主が、即位したばかりに、・・略・・貴族の身分を授けたとき、彼はそれを辞退しなかったのである。

 この抜き書きでだいたいのところは想像できる。

 若いころはパッションと感性に突き動かされながらも、それらを理性で制御し、うまくバランスをとりながら芸術作品を創り上げてきたが、円熟の期に達すると情熱が枯れてきたのに形式は整っている・・・という中身が空洞なものしかできなくなったということだろうか。ちょっと簡単に言いすぎかもしれないけど。
 そのことに自覚をもっているくせに、貴族の称号はほいほいと(ちょっと溜め息つくくらいしたかも・・だけど)受け取ってしまうのだから、心の奥底では葛藤が次第に深くなっていくのだろう。

 二つの相反するものの間で彷徨い苦しむというのはトニオ・クレーゲルでも同じらしい。わたしが読んだ新潮文庫はこの2作品のカップリング。ひょっとしてトニオ・クレーゲルは若いころのアッシェンバッハなのだろうか。今回はとばして1行も読んでいないので折を見て読み返したい。昔読んだはずなのに、見事に記憶から抜け落ちている(笑)

 こんな状態のアッシェンバッハはしかし・・旅行先のヴェニスで神が創造した美の化身のような少年を見かけ、たちまち虜になってしまう。枯れていた情熱に火種が点き、理性はどこかに追い払われてしまう。完全にパッションに乗っ取られてしまい、バランスを崩してしまうのだ。

 前略・・・14歳ぐらいかと思われる少年がひとり、この少年は髪を長くのばしていた。この少年のすばらしい美しさにアシェンバハは唖然とした。蒼白く優雅に静かな面持ちは、蜂蜜色の髪の毛にとりかこまれ、鼻筋はすんなりとして口元は愛らしく・・・中略・・・アシェンバハは自然の世界にも芸術の世界にもこれほどまでに巧みな作品をまだ見たことがないと思ったほどである。
 前略・・・花車な手の手首にぴったりとついている英国風の水兵服は、その紐やネクタイや刺繍などで、この少年のなよやかな姿にどことなく豊かで豪奢な趣を添えている。少年はアシェンバハに横顔を見せて、黒いエナメル靴をはいた一方の足を他方の足の前に置いて、籐椅子の腕に一方の肘を突いて、握った片方の手に頬を寄せ・・・略

 これは初めてタジオ(映画ではタジュウと聞こえた)を見かけたときの叙述だ。なお高橋先生の訳ではアッッシェンバッハはアシェンバハ、タジオはタドゥツィオと表記してある。原文はドイツ語だけど、タジオはポーランド貴族の息子という設定だから発音の表記は難しいのかもしれない。

 ここでちょっとエネルギー切れのわたしだ。ここからのアシェンバハの狂っていく様とタジオの溜め息がでるくらいの魅惑的な様子が山場だというのに・・・。2番目の結論までたどり着けない。
 取り敢えず映画のビョルン・アンドレセンの画像を貼って中休みと決め込むわぁ。次はいつ書けるかな・・・