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大きい強いだけじゃない

「男の子は、大きくて強いものが好き」
そんな一般論は、少なくとも少年時代の私には当てはまらなかった。

かたつむりが大好きで、ほかにも色々な生きものに興味があったけれど、強いことや大きいことばかり強調されている生きものには興味を惹かれなかった。

たとえば恐竜。
身近な生きものじゃないというのもあるけれど、当時子ども向けのメディアで紹介される恐竜は、ティラノサウルスに代表される恐竜の「大きくて強い」側面ばかり。本当は恐竜だって多様なのだろうけれど、表立って出てくるのは「最強」「巨大」を強調するもの。

カブトムシもそうだった。
「大きい」「強い」ばかりが強調されるカブトムシ。「戦ったら勝つのはどっち?」
「この中で、一番強いのはどれ?」
そういうアプローチに、いまいち強い関心を持つことができなかった。

実物を飼育したり観察したりするのは、自分の関心で見られるのでおもしろいんだけれど。

最近、ざんねんないきもの事典が流行し、さまざまに派生した類書も出ている。

一方的に「〇〇は失敗した生きもの」と決めつけるような、一元的な価値観に基づくものだとしたら、それは嫌だ。「強い」「大きい」ことの価値ばかりを強調するのと大差がない。

私の師匠であるカタツムリやナメクジは、のろまで脳みそが小さいことから、ナチュラルに残念だという扱いを受けてきた。
好きな動物であるコウモリもそう。吸血鬼だの、悪魔の使いだの、「鳥なき里のコウモリ」だのと、ネガティブイメージが浸透している。そのような価値判断は、あくまで人間による一元的なものだ。

一見「ざんねん」に見える生きものの形態や行動がどんな意味を持っているのか、ということに目を向けてもらうのは、昔から私のテーマの1つだ。

ざんねんないきもの事典シリーズの第3弾『続々ざんねんないきもの事典』の帯を外すと、そこには「みんなちがうから、いい」とある。
そう。カタツムリはのんびりだから、いいのだ。人が親しみやすいという意味もあるし、ほかの生物の栄養源として生態系を支える意味もある。
類書はいろいろあるけれど、どれもそんな「みんなちがうから、いい」という見方に通じるものであってほしい。

多くの読者だって「嘲笑する」よりも、「共感する」とか、「欠点に見えるところがなんだかすごい」とか、「どうしてこうなったか興味がわく」などの理由で、この類いの本が好きなのではないだろうか。

縁あって第3弾の執筆者の1人になった。
微力ではあったが、この本が、生きものに多様な価値があることを感じるきっかけになることを願いながら携わらせていただいた。

(個人的には何より、かたつむり人気がきてほしいのだけれど……。)


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