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カナダに来て、自分を大切にしたいと思えるようになった

こんにちは、MAIです。今学期は大学院で、めちゃくちゃ課題が多くて、テストの問題も難しい、Supply Chain Managementの授業を取っているのですが、昨日その厳しい教授に、「どうしてあなたはカナダに来たの?日本は素晴らしい国なのに」と言われました。

Supply Chain Managementの授業では、Toyotaなど日本企業の生産管理方式の例や、日本人が提唱した生産管理モデルなどがよく登場するので、教授にとっては、カナダより、よっぽど日本の方が先進的だし住みやすいだろうと思ったようです。実際、教授の奥さんもすごく日本に旅行したがっているとのことで、JALのフライトまでチェックしていました。

これまで同様の質問を受けた際は、「子どもに多様な世界での生活を経験させたかったから」などと答えていたのですが、カナダに移住して1年5ヶ月目となり、「本当は私が窮屈な日本から出たかったところに、息子がついてきてくれた」ことを、自分も息子も実感しているため、答えに詰まってしまいました。(息子は、最初はマイのために来てあげたが、カナダの暮らしは好きだし、自分にとっても来てよかったと言ってくれています)

迷った末に、下記のようなことを説明しましたが、もっと切実な社会情勢の国から来た留学生に比べたら、平和すぎる理由で、あんまり分かってもらえなかったかもw (教授も、ふーん、みたいな顔をしていた)

「日本はサービスを受ける側として生活したり観光したりするには、最高の国だけれど、サービスを提供する側として働くのは、プライベートを犠牲にしてまでの高いサービスレベルが求められ、しんどい」

「男女差別が北米と比べてもまだまだあるため、女性である自分や自分の娘がずっと働く場所としては、男性よりもディスアドバンテージがある」

「子どもたちには将来、自分の力で、住む場所・働く場所を選べるようになってほしいから、海外での経験を積ませたかった」

その会話の後、なんとなく、なんでカナダが住みやすいって思うのかなーと考えていたのですが、やっぱり「日本の当たり前や社会に期待される役割」から解放され、自分の気持ちに正直になれた点が大きいのだと思いました。

私自身も最近まで無自覚だったのですが、仕事でもプライベートでも、「自分が負荷を担って、頑張ってなんとかすればできるそうなことがあったら、拾って受け止めて、無理するまで頑張ってしまう」傾向があるみたいw これは、息子にも注意され、お仕事をご一緒させてもらっている、前職からの友人にも言われて、そうだよなーと納得したポイント。

日本人の得意な「落ちているボールを拾う」動きにも近くて、自分がやれそうなことがあると、つい、「やりましょうか?」って言って仕事を増やしてしまうタイプ。共感力が高いので、ときどき周りのためと思って動きすぎて、疲れるんですよね。

今みたいに、Hourly rateでお仕事を受けていると、きちんと報酬にも返ってくるので良いのですが、会社員のときもこれをやってたので、信頼は蓄積されますが、割としんどいことも多かったw (お陰でお仕事関係でも、いまだによい関係でお話できる方も多いことは有り難い限りですが)

大学院のグループプロジェクトでも結局、全体構成やストーリーを考えて、担当を割り振ったり、教授に質問したり取りまとめる係を担ったり、「誰かがやらないといけない役割」を拾ってしまうケースは多かった。

それは家族や周囲に対してもそうで、「〇〇したら、子どもたちは喜ぶかな」「年末年始に孫の顔が見られたら、義両親も喜ぶよね」など、「自分のやりたい」よりも、どうしたらみんなが嬉しいかベースで、物事を決めるクセが身についてしまっていました。

じゃあ、私はどうしたいの???

そう自分に問いかけたとき、「わからない」って思って、戸惑いました。
やばい、私、自分がやりたいことに素直に向き合ってなさすぎて、決められない……

キャリア軸だと、やりたいことをある程度明確にできているのですが、それ以外の生活面においては、「やらないといけないこと」に追われすぎて、やりたいことが分からなくなってたw

そんなとき、バンクーバーで出会った友人に、「嫌ならやらなかったらいいんじゃない??」って言われて、ハッとしました。

「え、でも、こうした方が、みんなにとっていいと思ったから……」

自分が、やりたい、やりたくないじゃなくて、「やった方がみんなにとっていいよね」という判断軸でこれまで動いてきたことを突きつけられた感覚。

「じゃあ、自分はどうしたいのか」を即答できないことに気づき、思考のクセって大きくて、かなり重症だと思った。

そして少しずつ、自分の気持ちに向き合って、やりたいことに正直になろうと思いました。日本だったら「こんな自分勝手な行動して、ひどいって言われるかもなー」と思いながら、おそるおそる一歩踏み出す感じ。

そうしたら、今年の7月に読んだ、西加奈子さんの「くもをさがす」が頭に浮かんできました。

「自分の人生の決定権は自分にある」「自分のことを心から愛しい、大切だと感じる」

バンクーバーで乳がんの治療・闘病生活を経験した西さんが、本を通して伝えてくれたこうした言葉が、半年近く経って、自分ごととして、体の中にすとんと落ちました。

もしかしたら、西さんがそう思えたのも、バンクーバーで関わった人たちの温かい声かけのお陰だったのかもしれない。

子どもの学校でもそうだけれど、カナダでは「自分の心や体を大切に思い、大切に扱うこと」をコミュニケーションを通じて、何度も何度も伝えます。

まず、自分を大切にして、そして、周りの人の気持ちやあり方も尊重する。こうした順番で、多様で個々の価値観を尊重した社会を、意思をもって築いてきている。

そうした価値観を学んだ上で、政治についても、小学校高学年からしっかりと学ぶ。自国が採用している、Democracy(民主主義)だけでなく、Oligarchy(国を支配する権力が少数者や少数の団体に握られている政治体制)やCommunism(共産主義)、despotism(独裁主義)などのさまざまな政治体制の特徴についても学び、子どもたち自身に考えさせます。

英語もまだまだ学習途中のGrade6の息子が、DemocracyやOligarchyについて興味を持って調べ、家でも話すのって、すごく大切なことなんじゃないかなと感じます。

自分を大切にすることが、自分の幸せに影響を与える社会のあり方に対しても、興味をもち、良くしたいと思い行動する第一歩になる。

私もまだまだ、思考のクセを意識的に変えようとしている途中ですが、「自分を大切にすること」をもっと意識して、好きなことに正直に向き合っていきたいなと思います。


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